春*はじまらないものがたり

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 夏が来れば、この通りにも青葉が満ちよう。  この、気味の悪い程整頓された、煉瓦敷きの通りにも。  通りを行き交う人々は、桜の花の名残を惜しみ、萌え()づる若葉に思いを馳せながら、今日も慌ただしく歩き去っていく。    もしも、歩くことができたなら。  もしも、声を出して、花を愛で合うことができたなら。  少しは僕もこの春の中に馴染むことができるのだろうか。 ────────は、ですっ。  遠くに、子供の甲高い声が聞こえた。  ランドセルを背負った幼子が、パタパタと僕の前を走って行く。  その中の一声だろうと、僕は微睡(まどろ)みの中で、一度は気に留めた声を徐々に薄めていく。 ────────は、──さんって、なまえにしますっ。  また声がする。  リン、と鈴のように鳴る声。  子供の声なのに、世を知った大人のような、無垢な赤子のような、不思議な印象を受ける声だ。  だから、忘れる筈だった声は、波紋のように何時までも僕の中に残っていた。 ────────あなたは、きょうから──さんって、なまえですっ。  徐々に声が近寄って来る。滑らかな足音がピタリと止まる。  目の前には、小さな女の子が佇んでいた。  擦り切れた短パンに、染料をぶちまけたような派手なTシャツという、変わった格好の幼子。  一目見て、風変わりな子だと知った。 ────────あなたは、きょうから──うーんとっ。  僕を見上げて、彼女は微笑む。 ────────あなたのなまえは…………ない、ですっ。
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