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――パァァ……ン!
深い山中に銃声がこだまする。
「くそっ、逃げられたか?!」
喜助は猟銃を下ろすと、狙い定めた笹藪に目を凝らした。
「仕留めたか」
すぐ後ろから喜助の父親、久兵衛が声を掛けてきた。
「――いや、逃げられたらしい」
「こういう日もある。そろそろ降りた方がいい」
ブナ林の中、辺りは常に薄暗い。見上げると、厚く繁った枝葉に切り取られた空が、微かに赤い。
知った山とはいえ、日が暮れた後は別世界だ。人間の踏み込んではならない、獣達の時間だ。
「あ! 親父――いた!」
獲物を逃した笹藪を舐めるように睨んでいた喜助は、ガサリと大きな揺れを見逃さなかった。
「深追いするな、喜助!」
久兵衛は止めたが、目の前の大物との千載一遇のチャンスをみすみす捨てる気にはならなかった。
射程距離まで駆け寄り、狙いを定める。
よし、今だ!
ギャギャギャギャ……!
――パァ……ン!
引き金に触れる一瞬、山鳥が近くの木立から飛び出し、喜助の動揺を誘った。
そのまま放たれた銃弾は、獲物から大きく逸れて、木立の奥に消えた。同時に、狙われていた大猪も木々の向こうに駆けて行った。
「畜生……あの鳥!」
「帰るぞ、喜助」
しょんぼり肩を落とした息子の背を叩き、二人は山を下り始めた。
あっという間に夕日は稜線を越え、彼らの足元を照らす明かりがなくなった。
夕闇が徐々に降り溜まり、彼らの視界を狭くした。
「……まずいな、道に着かない」
旅人が使う広い山道の他に、狭い猟師道がある。山で生計を立てている彼らにしか分からない、獣道とは違う道――山里へ帰るための命綱だ。
「月が出るまで待つか?」
「だめだ。今は下限だ」
久兵衛は険しい顔で首を振る。
喜助が提案した月の出は、夜半過ぎまで待たなければならない。
「さっきの場所に戻るぞ」
闇に阻まれて、曲がる場所を間違えたに違いない。 経験から、久兵衛の判断は早かった。
「――あっ?! うわぁっ!」
「喜助っ!!」
道を引き返し掛けた時、下草に足を取られた喜助が笹藪の中に姿を消した。
慌てて追うと、小さな崖になっていた。久兵衛は慎重に笹を何本も掴みながら下る。
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