母の気付き

11/16
前へ
/353ページ
次へ
だけど、五分なんてあっという間。 楽しかったね、あの魚美味しかったね、なんて話しているうちに気付けばもう駅まで辿りついてしまった。 「じゃあ、行くね」 「うん、気をつけて帰れよ」 「うん、着いたらまたメールする」 「あぁ」 そして、手を振りながらじゃあね、と、改札に向かって歩き出した時だった。 いきなりサトルにグッと手を引かれ、その場で抱きしめられた。 「ちょっ、サトル」 「何」 「いや、あの、周りの目がさ…あるじゃん」 「周りの目とか今はどうでもいい」 まだ酔っているのかサトルはそう言うと私をさらにぎゅっと強く抱きしめる。 苦しいくらいだった。 いや、苦しかった。 抱きしめられながら、私はサトルではない人のことを考えてしまったからだ。 頭に浮かぶのは、椎名の顔。 結婚しようとしているサトルに抱きしめられながら、私は椎名のことを思い出している。 最低。 自分が最低最悪な女すぎて嫌になる。 「莉奈」 「ん?」 「お前が好きなんだよ…本当に」 弱々しいサトルの声が耳元で響く。 抱きしめられていた腕がそっと緩まると、サトルはまっすぐ私を見て言った。 「本当に好きだから…」 そして、私の頬をそっと撫でると、もう触れてしまうかもしれないところまで、一瞬で唇が近付いてきた。 だけど… 「ちょっ、やだ、サトル。お酒クサイってば」 ギリギリのところで私は顔を逸らし、わざと明るい声で笑った。 「酔ってるじゃん、絶対」 「……そうかもしれないな」 サトルはそう言うと、悲しそうに笑って。 「気をつけて帰れよ」 そう言って私の背中をトンっと押した。
/353ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1517人が本棚に入れています
本棚に追加