第1章

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 その様子を見ながらのんびり草鞋に話しかけたのは廻音である。既に喜寿を超えているが、頭はまだまだはっきりしている。一四〇に満たない体をちんまりソファに乗せていて、白髪はわずか、肌は皺が少なく、まだ六〇代といって通用しそうなほど若々しい。 「ふぉうですな」  草鞋はごくん、と大福を飲み込んで、 「霜柱を溶かしたのは、祖父の家に侵入して盗みを働き、脱出して塀を乗り越えるとき、足跡を地面に残さないためです。宮路家の表の出入り口は幹線道路から丸見えだから、姿を見られないために脱出は裏の塀を乗り越えるのが望ましい。しかし、塀の足元の地面は近所の子どもたちによって霜柱ができるように細工されている。霜柱は、踏むと存外足跡が残るものです。それを子どもたちや実果さんに発見されたくなかったんですな。見慣れない靴跡があるからと祖父に連絡されては、自分に疑いがかかりやすくなる。宮路家の主人は昨日から遠方に旅行中なんですよ。留守中の警備を私は依頼されたのですが、本当に依頼人の孫が窃盗を働くとは思っていなかった。世の中、世知辛いもんですなぁ」  草鞋はわざとらしく嘆息する。  巡は宮路家に出入りしていた若い男の姿を脳裏に浮かべた。彼は宮路のお爺さんの孫だったのか。 「足跡を残したくないなら、裏道に砂でも撒けばよかったのに、どうしてお湯を使ったんでしょうね」  静香が疑問を口にした。 「砂を撒くと、朝の声がうるさかったのかと心配したこちらのお嫁さんが謝りに行ってしまうと考えたんでしょう。お湯で霜柱を溶かしてしまえば、冷めれば証拠はないですからね。犯人の狙いは、どうしてか、裏道では霜柱ができなくなったとお孫さんたちに勘違いしてもらい、霜柱を踏みに行く行為をやめてほしかった、というところでしょうな」  草鞋はうまそうに緑茶をすする。 「それにしても」  廻音が物珍し気に庭を振り返った。居間の窓から、庭と裏道が見える。 「所長さんは、赤外線センサーなんて珍しいものを、よくお持ちでしたねぇ」  草鞋はふふん、と鼻を膨らませた。 「以前、探偵事務所をやっていた時に、いざという時に備えて購入しておいたものがありましてな。今時はそれほど高くないんですよ、せいぜい数万円です。いやぁ、役に立って、よかった」
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