プロローグ

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 情熱的な恋をしたいわけではない。だからといって、中学生のような純愛を求めているわけではない。でも、我儘に「好き」を振りまくような恋をしたいわけではない。ただ、少しだけ汚いけれど、自分たちならばなんとか許せるような恋がしたいだけだった。「好き」と伝えれば、人気のケーキ屋さんのショートケーキが売り切れていないくらいの確率で「好き」と返ってくる、そんな普通の恋でよかった。  そんな、控えめな「好き」で満足できるぐらいに、俺の心は荒んでいた。    *  午後10時を過ぎた都内は、いまだに汚れた喧騒で満ちていた。不満だらけのサラリーマンが強く足音を鳴らし、酔いつぶれた誰かがホームに嘔吐している。人の脇を行き交く車に温度はなくて、遠くからサイレンの音とそれに混じる怒号が聞こえてくる。  そんな都内の喧騒には、もう随分と前に慣れた。新宿駅で避ける事を忘れてしまった大人とすれ違うこともうまくなったし、摩天楼の一角で夜を照らす電光掲示板の煩わしさにも慣れた。俺は、確かな実感を持って、大人になっているのだ。  服や靴に費やしていたお金が目的もなく貯金されていく。  今まで聞いていたロックバンドの曲に少しも感動しなくなって、大切にしていたCDに埃が被っている。  学生の時に開けたピアスホールは、小さな傷跡のようになっているだけで塞がってしまった。  遠い昔は誇りに思っていて、遠い昔は大切にしていた物の一つ一つが、俺の中から消えて行ってしまった。俺は、それを成長と呼びたい。  いつからか、ヒーローになることを諦めて、宇宙飛行士になろうと思ったけれど地球のことすら考えられなくて、そんな夢すら忘れてしまう。そうゆう<欠落する過程>を、成長、と形容するのだ。  俺は、慣れない会社で緊張した体が窮屈で仕方がなかった。だから、近くのコンビニに入って、安い缶ビールと唐揚げ串を買い、ネクタイを緩め、また歩き出す。すると、人込みの隙間から下手くそな歌が聞こえてきた。自分の諦めた夢を大人や社会のせいにしている安い歌だ。フリーターだろうか。伸びきった髪にパーマをかけて、ギターとマイク一本で数人の観客に向け叫んでいる。  本当に、格好悪い。  けれど、その歌詞の一つ一つが、あの頃の自分を馬鹿にしているみたいで悔しかった。たった一人を、汚くも好きでいた自分が恥ずかしいと思ってしまった。  
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