冬の七夕

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 聞き慣れた号令に合わせて、全員が一応のところ揃って挨拶を述べた。一瞬の静寂、がたがたと椅子と机のぶつかり合う音。「起立、気をつけ、礼、着席」の決まり文句は僕自身が子供だった頃と変わらない。子供たちの汗のような、それとも埃が運ぶような匂いも実に懐かしいものだ。  地球の裏側まで来てもこうなのだから感心させられる。教壇から見て右手、通りに面する校舎壁側の一面は窓で、その下の部分の壁と後方の壁の低い部分は生徒が使うロッカー代わりの棚に設えられている。左手の壁にはドアが前と後ろに一つずつあって、二つのドアの上部とその間の壁にもやはり窓か拵えてあるから左右両側に広く教室の外が見えて解放的である。  僕が子供時代を過ごした小学校と違う点といえば、まず「黒板」と呼ばれるものが黒板ではなくてホワイト・ボードである事。そして、校庭と呼ぶには細やかな中庭にマンゴーの大木が見え、反対の窓に望む町並みの大部分が緑色に覆われている事だろうか。視界一杯に広がる緑の中に点々と平屋の赤い屋根が覗いている。廊下へ出ればもう吹き抜けの屋外であって、天気の悪い日には遠慮なく雨が吹き込んでくるものだから職員室へ戻る間にも濡れる。  文字通り丸い地球の裏側。ここにも日本と同じ匂いのする教室がある。南米大陸へは日本人による長い移住の歴史があり、様々な形の友好関係に伴って「日本語」という言語文化が教育課程に取り込まれていることがある。但し、現在の形になるまで未開のジャングルを開墾してきた先達の苦心、またそれを受け入れてきた現地の人々の懐の深さを忘れてはならない。  赴任先を選んだのは全くの偶然と廻り合わせであったが、日本語「教師」とは言ったものの子供が整然と座る教室で教鞭をとる事になるとは思わなかった。何しろ自身が子供であった時代を除いて児童なぞには触れる機会もなく、教員免許も持ってはいないのだ。当然教育実習の経験などがあるわけもない。「語学講師」としての知識だけを唯々詰め込んでここへやってきたのだ。即ち、日本語学の専門家とは言えても子供の成長を促す存在かどうかというと怪しい。
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