冬の七夕

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 今日は紙ヒコーキかな?ちくりと軽い後頭部の感触に振り返ると、やはり紙ヒコーキが落ちていた。それも思いっきり不細工なやつだ。先端だけが見事に尖っている。こういう点は見事だ。兎角子供ってやつは何かを投げたがる。 「誰ですか?」 誰も何もあるか。そもそも教室の半分以上の子供が何かしらを机の下でいじくっているのだから全員が犯人で概ね間違いはない。くすくすと笑っている子供が半分。押し黙っている子供が半分。二十人にも満たない小さなクラスの事で、ほぼ全員が共犯である。  但し、ちょっと他のクラスメイトとは距離を置いている男の子が一人。今日は片手に鋏を持って目線を彷徨わせている。 「はあい。先生、Nが投げました」 Nというのはこの男の子の事である。ここでは普通、『君』とか『さん』とかをつけて名前を呼ばない。いくら日本語的に指導しても子供は普段通りの彼らの言語に準じて話す。 「そうです。Nが投げました」 「私も見ました」 「私も」 逆に小さな男の子までが自分のことを『私』と称するのは不気味だが、日本語の教室とはこういうものだ。Nが慌てたように不器用な手足をばたばたと振り回す。 「ち、ち、ちちち、違うよお」 成長過程に問題があってどもってしまうのだ。運動も不得手で滑稽な動きが子供たちの笑いを誘う。 「いいえー、Nですよ、先生」 「Nは嘘つきです」 「またNがやりました」 今日は『紙』であって、注意こそするものの問題はない。  だが先日は参った。飛んできた鉛筆が、くるくると気ままな回転率をぴったり上手い具合(或いはまずい具合)に合わせて目に突き刺さったのだ。幸い黒目を逸れて大事に至らなかったが今も僕の右の白目は充血したままで赤みが取れない。  以後、この教室で教壇へ向かって飛んでくるものは、紙ヒコーキだとか柔らかい物体に限られる事になった。僕や教務主任が道徳的に諭したからではない。子供たちが暗黙に自然発生的にそういうルールを作った。 「先生が可哀想だ」 何と優しいのかと感動したりしたのだが、そんな必要はまるでないであろう。  この鉛筆事件の犯人は分からないままだ。正確に言えば、犯人自身がだんまりを決め込んだままだ。何しろ特徴のある鉛筆だったので、それは僕がそっと本人の筆箱へ返しておいた。
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