第二章 消えた麗人

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「泡影は謎の多い作家だ。生まれたのは明治四十三年と判っているが、出生地は明かされていない。本名も非公表だった。昭和四年、十九歳の時に短篇『藏』でデビュー。それから割とコンスタントに作品を発表するが、昭和十二年、二十七歳の時に突然姿を消した。その後の消息は不明、となっている」  馨は本を開き、口絵の泡影の肖像を見つめた。それは泡影といえばこの写真、というもので、槇田も見たことがあるものだ。  そのとき、槇田の脳裏に一瞬なにかチリとしたものが駆け抜けたが、その正体を見極める前に、それは去って行った。  写真の中の泡影は、くっきりとした化粧を施し、短髪を後ろに撫でつけ、ソフト帽を斜めに、少し目深に被っている。  衣装は三つ揃えのスーツにネクタイという姿だ。今で言う宝塚歌劇団の男役のような佇まいである。  泡影は「男装の麗人」としても知られていた。厚い化粧に覆われてはいるが、その造作が非常に整っていることは容易に見て取れた。彫りが深く、冴えた瞳がこちらを挑むように見つめている。冷たそうな美貌は、誰をも惹き付けたに違いない。 「思わず、彼、と呼びたくなる姿ですね」  槇田が洩らすと、馨も小さく頷いた。 「実際、泡影は自分のことを僕と呼び、話す言葉も男言葉だったからな。それは対談集なんかにも載ってるから間違いない。作家仲間、特に男性作家からはポーズじゃないかと随分からかわれたらしいが、やっかみもあったんだろう。彼女の文章は卓越していたし、確かなオリジナリティもあった。実力、美貌、神秘性と揃えば熱狂的なファンがいてもおかしくない。実際ブロマイドなんかが飛ぶように売れたらしい。作家としては異例のことだったと書いてある」 「ブロマイド、ですか」 「知ってるか」 「知ってますよ、それくらい」  槇田が言うと、馨はからかうような目をした。たった六歳しか離れていないのに、馨は時折こうやって槇田の若さを揶揄するような態度を取る。それが槇田には面白くなかった。
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