「夏の声」 : 本編のあと、夏休みに入った直後の四人の話

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 仁羽は確かに気難しくて偉そうで、言葉は厳しくて態度もつんつんしてる。だけど、本当は誰よりも真っ直ぐで素直だ。怖くたって誰かの背中を守っていようとしてくれる人間だ。  わかりにくいやさしさとか見つけにくい心の内側とか、知らなかった仁羽の一面を、俺はあの夜にちゃんと知ったのだ。  それなら話しかければいいんだと、頭ではわかっていた。それなのに中々踏み出せない。だって、憶病な自分自身が言っているのだ。  あれはあの夜、終業式の日、祭りの夜だけに起こった特別なことなんじゃないかって。  今みたいな、真っ昼間の本屋で声をかけたって、そっけない態度を取られるんじゃないかって。  あの夜が特別だったと知っているから、余計にそれが全部消えてなくなったらどうしようって思ってしまって、中々口を開けない。  仁羽を眺めながら立ち尽くしたまま、俺はぼんやり考える。  いっそ、気づいていないって、仁羽のことは見なかったってことにしてしまおうか。そうしたら、俺はあの夜の記憶を抱えたまま、幸せな気分でいられる。特別な時間があったんだって噛み締めたままでいられる。  だけど、と同じくらいに思っている。  見なかったことにして、なかったことにして、知らなかったふりをして、それでそのまま帰ったら、それこそこれで何もかもが終わってしまうような気がするんだ。     
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