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休みの日は、のんびり本を読むのが結菜の幸せな過ごし方だった。
でも、今日は違う。
仕事帰りにたまたま寄ったお店で懐かしい母の話を聞き、結菜はずっと来れなかった場所に舞い戻っていた。
いつか、お母さんと一緒にお菓子を作る。幼い頃、そんな夢を語った気がする。
母の店があったテナントは、何度も主が変わっているらしい。今もまた、売り物件として赤い看板が立っている。
可愛い三角の屋根だけは、そのままだ。
(二十年も建物が残ってるだけマシかな……)
実家から記憶を頼りに母の店へ歩いた。家に立ち寄って父に顔くらい見せたら良かったかも知れないが、なんとなく避けて来てしまった。
ポツポツとメールでやり取りはする。でも、それだけ。別に仲が悪い訳では無いけれど、就職してから家を出て、そのままだ。
たいして離れてもいないし、勤務先に自宅から通う事も出来た。でも、結菜は一人暮らしがしてみたくて、家を出た。
(まあ、でも無理だったよね。お母さんが元気でも……)
色々思い出した。母がおやつを作る時、手伝いをしようとしたが卵は握りつぶすし、材料を混ぜる時、勢いが良すぎるのかボウルからこぼすし、母から教わっただけでフワフワのパンケーキを再現した信幸とは比べものにならない。
現在もお菓子を作るのは無理だ。ホットケーキもこげこげ。焦げを落として香ばしい風味を楽しんだ。そうでも思わないとやってられない。その程度の腕前だ。
「……帰ろ」
特に何かしたかった訳では無い。なんとなく見ておきたかった。母の大事なお店が、どうなっているか……。
別に何も起こりはしない。珍しく家から出て来たのだから、何か美味しいお昼ご飯でも食べて帰ろう。そう思って踵を返すと、元・母のお店の前に不動産屋さんの車が止まった。
「ここです、結構駐車場も広くて……」
「建物が結構古いですね」
「その分、安くはなってますよ」
調子の良さそうな不動産屋さんと……。
「あれ、結菜さん?」
信幸だった。エプロン無しの。上から下まで一瞬でファッションチェックしてしまうのは、職業病だ。
(うん。無難なブルー系で纏めてるけど、赤系のチェックとかでも似合うと思う)
赤系のチェックシャツ。ブラックのスリムジーンズ。カーキのジャケット。
(赤。真田家だけに)
一人で、ちょっと笑いが取れた。
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