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「知ってますか、あの噂」  銀髪をきっちりと後ろになでつけた初老の男が言った。  それは、展覧会の絵がすべて所定の位置に収まり、いよいよ明日の開幕を待つばかりとなった夜だった。 「よくない噂がささやかれている絵があるんですよ。今回の展示品の中に」 「知りませんでした。なんかあるんですか」  充血した目を擦りながら広告マンの岡崎が答えた。岡崎はこの地方都市で行われる展覧会の企画担当だ。  絵の手配にミスがあったため搬入が遅れて最後の絵が催事場の壁を飾ったのはつい先ほど、午前一時だった。ここ数日一睡もしていない上に今夜は熱帯夜ときている。学生時代柔道をやっていた巨漢の岡崎は、人より無理のきくほうだと自負してきたが、今度ばかりはかなり参っていた。 「そうですか、人脈の広い広告代理店の人ならひょっとして誰かから聞いているかと思ったのですが」  初老の男は銀縁の眼鏡をはずし、ケースから取り出した専用の布で眼鏡をぬぐいながら言った。従業員数四人というたいした人脈もない弱小広告代理店に勤める岡崎は、その嫌味とも思える言葉に眉をひそめたが黙っていた。県の関係者の心証を悪くして得になることは一つもない。県立美術館で学芸員をしているこの男、片桐は県が協賛している展覧会にオブザーバーとして参加しているのである。 「まあ、美術関係のごく一部の人間しか知らない、取るに足らない噂なんですけどね」
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