心紡・壱

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心紡・壱

 〝あなたも、お兄さんのように品行方正に生きなければなりませんよ〟  幼い頃。まだ物心のついていない朝倉あさくら大和やまとの耳には、気持ちが悪いほどにこの言葉をよく耳にし、強い嫌悪感を抱いていたことを、よく覚えている。  何故だかは―――よく分からない。ただ、なんだかとても腹が立ってあまり真面目に返事をしなかったような気がする。  〝でもね、お母さん。俺―――〟  これが、すべての始まりだったような気がする。  父は医者、母は雑誌のデザイン集者の職業に就いていたため、所謂裕福な家庭であったからこそ、(あさ)(くら)(やま)()とその兄、(あさ)(くら)(しな)()の将来はその経歴に見合ったものを要求されていた。  彼は、それがどうしても素直に飲み下すことが出来ず、望まれた経歴とは正反対の行為を取り始め、親との会話の回数は、年を重ねるごとに減っていった。  中学までは義務教育であるから、と最低限のやり取りはしていたものの、高校生からはもうすべてが変わった。母の言葉通りに幼い頃から成績優秀、且つ品行方正に生きる兄とは違い、出来る限り家には帰らず、気が向いたら学校に通い、喧嘩を売られたからにはすべてを買い、喧嘩に明け暮れる日々。同じような境遇の面子と集まり、夜を過ごした。  今日もその日々は変わらない。  大和を見てひそつく大人を蹴散らし、売られた喧嘩を全て買い、殴り合う。 ただ今日は、多勢に無勢だった。大和が一人で喧嘩に対応が出来る人数は、合計五人。しかし先ほど―――かれこれ五時間ほど前の午前二時。たまたま因縁をつけられた相手は全員で三人。 その程度ならば、まだ一人で片づけられた。だが、いつの間にだったか、相手は増援を呼び、一対八の状況を作り上げ―――ぼろぼろに、惨敗。 未だ夜の帳が空を覆っている上に、さらに雨雲が世界を包んでいるため、どこか肌に感じる空気は湿っている。ぽつり、ぽつりと空から雫が降り始め、初めは弱々しかった雨足も強みを増し始め、大和の全身を打ち始める。 全身が痛い、と悲鳴を上げていた。鼻孔を擽る鉄臭い香りは雨に流れるも、全てが洗い落とされるわけでもないし、体を支配する重みから解放されるわけでもない。 どうすればいいのか、分からなかった。
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