[それぞれの戦後]

1/1
10人が本棚に入れています
本棚に追加
/5ページ

[それぞれの戦後]

  一九四五年(昭和二十年)八月十五日に、日本全国にラジオ放送された天皇による詔書の声、玉音放送によって国民は日本の敗戦を知り、同年九月二日に米艦ミズーリ号上で全権特使の重光葵と梅津美治郎らが降伏文書を調印した。その時点で国際的に第二次世界大戦及びアジア・太平洋戦争は終結する。一方、それは即ちアメリカの日本における単独占領の始まりであり、日本国民が進むべき民主化への嚆矢でもあった。さらに敷衍して言えば、アメリカが望むべく国に日本がなるための統治の序開き。戦後民主主義の怒涛の流入が始まり、それは非武装化のよる日本の軍国化の撤廃や、修身(一時期は日本史も)などの国粋主義に付随した学校教育授業科目の削除による、平和主義を覚え込ませるための心身育成にも及ぶ。  日本国憲法によって象徴天皇となった万世一系の皇室。事実上、立憲君主制以上に統一性と支配性の高かった天皇制が崩壊して、日本国民は当初は戸惑っていた。言わば「神様」である天皇が、突如、現人神的存在から「人間」に転身したのだから、それは当然の事ではあった。だが、その神が空白になった箇所をGHQが代行し、天皇に変わる日本の統治者をダグラス・マッカーサーが見事に演じ、その日本が今後依拠すべき存在はアメリカであると発露した。同年の九月二十七二日に撮影された、マッカーサーと裕仁天皇が並んだ写真がその崇高感を端的に示すように、それが天皇の人間宣言と等しいほどにマッカーサー、ひいてはアメリカこそが日本をプロビデンス(神の導きによって指南するという意)する国であるという証左を結果的に残し、不遜不敬な言い回しではあるが、神格化されてきた天皇の都落ち的なイメージ操作をGHQは行う事に成功した。  だが、ある意味においては米国による一国の単独占領は、日本にとって僥倖であったのかも知れない。当初は中国、ソ連、イギリスなども加わった分割統治の案も出ていたが、結局は太平洋戦争での一番の功績はアメリカだという事で、アメリカに日本の占領の主権が渡った。一方でやはり同じ敗戦国になったドイツはアメリカやソ連を筆頭とした、東側陣営と西側陣営の思惑が錯綜して、東ドイツと西ドイツに分断する分割統治国家となり、長きに渡りドイツ国民が時代の混乱と、生活の辛酸を味わう事になる。日本は分断国家の悲劇からは免れた、と解釈するのはあながち間違いではない。  また、米国主導による日本に対する、民主化政策の進行も善きにつけ悪しきにつけ、意外と国内ではスムーズに浸透していった。  それこそは日本の戦後における「五大改革指令」によって発動する。  終戦のその年の十月十一日にGHQから大々的に発表された五大改革指令は、まさしく日本の今後の国体を形成する施政方針であり、新国家の礎たる民主化を決定づける事案となった。  昭和二十年、十月四日にGHQは治安維持法(主に団体活動の制限、皇室否定や私有財産の禁止などを記した、国体変革を阻止するために定めた法律)の廃止や政治犯の釈放、特別高等警察(国体護持を目的に設立された大日本帝国時代の政治警察。アナーキストやコミュニスト、極右翼的思想のナショナリストなどを取り締まる機構であったが、その警察員の捜査や諜報活動、その他の職務が越権的かつ超法規的であったため、過度な示威及び暴力行為によって国民を縛っていた)の解散、また天皇批判や集会の自由などを認めさせる自由制限撤廃指令(民主化指令)を当時の東久邇宮稔彦内閣に提示する。だが、東久邇宮内閣は大日本帝国時代の旧体制の続行を望み、GHQの案に反発して総辞職する。そこで同年同月の九日に幣原喜重郎新内閣が組閣され、幣原喜重郎首相にGHQが五大改革指令を明示する運びになり,十月十一日にその発表がされた。  戦後の日本の体制を決定づけた五大改革指令の骨子。  第一に婦人解放、第二に労働組合の奨励、第三に教育の自由主義化、第四に圧制的諸制度の撤廃、第五に経済の民主化、となる。  婦人解放は家父長権と男尊女卑性の強かった、大日本帝国下の生活状況を改善するために勧められた施策。法の下では男女平等となり、普通選挙における婦人参政権の獲得、また、民法の改正により「女性は結婚したら家に入る」という家制度に付帯した戸主権は廃止される。  労働組合の奨励は、日本が独裁国家に至り、日中戦争や太平洋戦争の勃発に至ったのは、その戦争目的が他国侵略という領地拡張政策に基づいて、戦前における大日本帝国では、さらにそれらの戦意高揚の契機が、国民の大多数の低賃金収入傾向に基づき、国内市場が狭いものとなっているという構造的問題に紐づき、それが起因となり広域の市場確保の意味でも、威力戦争行為による植民地政策に拍車がかかった、とGHQは判断して、今後は日本がそのような他国占領支配に及ぶような行為を防ぐために行なった政策。また、労働組合が結成されず国家に対する賃金交渉などが成立しない場合、国粋主義的、言わば民意を反映しない、やはり戦前期の強い国家の体制の日本を再び促す恐れもあるために、それは民主主義をアメリカが推して広める上で独裁国家の復権は阻害となるために、その未然の処置として機能も意味も含んでいた。だが、過度の労働組合の助長は、共産主義化を推し進める結果にも繋がるという諸刃の刃でもあり、案の定、ソ連とアメリカを領袖とした東西陣営構造激化による、GHQの日本における占領政策が「逆コース」に変わってからは、労働組合の結成に対しては退行方向へと転換していく。一方で労働省が置かれるとともに、労働組合法、労働関係調整法、労働基準法の「労働三法」が制定され、共産的ではなく生産的な労働者としての権利の確保は国民に付与した。  教育の自由主義化は、やはり国粋主義的な教育が日本の戦争参加を誘引したとして、その流れから軍国主義的な内容であった修身や皇道史観の濃い国史の授業などを停止させ、愛国精神による戦争を正当化させるような用語が書き込んである教科書は、その部分を黒塗りにするという、所謂、「黒塗り教科書」を実行。法的な観点からは、教育基本法や学校教育法の制定。また、皇道主義的精神や軍事色を帯びた「教育勅語」の廃止。それに変わるように社会科という科目が誕生し、民主主義の啓蒙の一翼を担うようになる。  圧政的諸制度の廃止とは、戦前下より続いた国家による国民への圧力となっていた諸制度であった治安維持法や特高警察、警察機構の頂点の内務省の廃止などを指す。それらの施策により不当に逮捕されていた政治犯や思想犯は釈放された。  経済の民主化とは、GHQは日本の軍国主義の温床となったのは、都市部では巨大な財閥(コンツェルン)による産業界の一極集中が原因の一つとしてみて、「財閥解体」を敢行する。持株整理委員会を発足して、株式の民主化をはかり、一企業による特定分野の支配を防ぐために「独占禁止法」を立法化。さらに「過度経済力集中排除法」を制定し、巨大企業の分割を行なった。だが、その分割指定された巨大企業は三百二十五社あったのだが、実際に分割されたのは十一社にとどまったため、不徹底な政策に終わった。また、農村においては地主と小作人の主従関係に、戦前国家による小作人への圧迫を脅威として見出し、地主との経済的格差が農民の貧困を生み出し、それもまた生産地拡大のための他国占領支配の一計となったとGHQは鑑み、「寄生地主性」の廃止という農地改革を実行する。その結果、小作人は地主から解放され、小作人による自作農経営を可能にし、事実上、農業就労者の平等が実現し、安定した農作物の生産と賃金確保を農作業従事者に確立させた。  以下のような五つの大綱が、戦後日本における五大改革指令の実相。それらの改革は概ねサンフランシスコ講和条約の締結の前に実行されており、急進的なピッチではあるものの多方の日本国民は受容して、諸々のGHQの民主化政策は確実に戦後民主主義精神の日本のインフラとなっていた。  結局、日本の戦後の民主化は、それとは相容れ難い東西の対立化が加わり、日本国憲法の米国案による法規制定、東京裁判の戦勝国よる一方的な終審、共産主義との関連を疑われた下山事件に端を発する国鉄三大事件、やはり共産主義の脅威から行われた共産党員やまたそのシンパを社会的に抹殺しようとしたレッドパージなど、言わばそのような不穏な政治的事実や事故や事件と米国輸入の自由主義の謳歌のような、表裏ありきの清濁併せ呑む形で、実際は余談が許されない不安定な状況下で進んでいたのだった。つまる所、五大改革指令の表向きの目的は民主化を押し進め、軍事独裁国家の温床となった諸問題の改革であったが、大前提としては日本における社会・共産主義化の阻止であり、またアジア地域による対外諸国へのコミュニズムの波及の防波堤なるべく存在として、西側陣営は極東の島国に暗黙の依頼をしていた。  一方で日本。サンフランシスコ講和条約の締結こそが、日本の国際社会への復帰、さらにはそれに伴いアメリカによる日本の民主化の節目としてのメルクマール、つまり、日本に及ぼした戦後民主主義政策の総括とした。大義としてアメリカは日本の間接的占領統治は成功に帰結した、と世界にマニフェストするに至る。それはアメリカこそがこれからの戦後レジームを牽引する役割をする、という証明、もしくはアピールでもあった。アメリカ追従の国家としての認識以上に、つまり、うまく米国に利用されているという考えよりも、再び国際社会に返り咲いた事に歓喜して、多くの国民は複雑な世界の東西陣営「支配構造」の長期的な見通しは出来ていなかった。  実際にサンフランシスコ講和条約と同時に結ばれた、米国と相互間でかわされた『日本とアメリカ合衆国との間の安全保障条約(旧日米安保条約)』ではその第一条で【平和条約および安保条約の効力が発生すると同時に、米軍を日本国内およびその周辺に配備する権利を、日本は認め、アメリカは受け入れる】と記されている。この内容が意味する事は日本に対する米軍の治外法権の適用が、日本の全国土に支配される事を意味している。つまり、極論して言えば軍事設備を通して、米国および米軍は延々と日本全土を間接統治出来る事をも意味すると画して壮語ではない。そう捉えるとアメリカらの占領支配の軛や桎梏からは表向きの自由とは裏腹に、戦後いつまでも逃れる事はできない。だが、その二国間で結ばれた条約がなければ、詰まる所、アメリカからの強制的な庇護がなければ、日本の国際社会への復帰は叶わなかったとも言える。  サンフランシスコ講和条約の祝祭的なインシデントに隠れて見逃されがちだが、この安保条約の公約は敗戦国の枷として結局は真の国際社会の復帰とは言えぬまま、永続していく。事実、この条約の署名の際に主席全権委員であった吉田茂首相は、「この条約はあまり評判がよくない。君の経歴に傷が付くといけないので、私だけが署名する」と同行していた池田勇人蔵相に告げ、受諾させなかったという話もある。吉田にはこの条約が後々日本にとって内憂の隘路となる事を分かっていたのだろう。  ……古くから言えば黒船来航からアメリカってヤツは日本を我がモノにしたかったのかも知れないな。ペリーのそれで下地を施し、今回の戦争でトドメを刺した。そんな感じだろうか。じゃなきゃ米国のこれまでの二度の外圧で、鎖国ってのも解禁されなかったし、日本の民主化ってのも実現しなかったはずだろ。こいつは偶然じゃない。結果として時間は長くかかったが、アメリカは狙い通りに日本を手込めにしたわけだな。日本は現在の難儀な世界情勢の中、アメリカの手のひらで踊らされている。アメリカがそうさせて、日本がそれを選んだからか? それとも日本が望んだからか、分からんもんだな。  仕事の昼食休憩時間。  宇野は鉄材置き場の形鋼(けいこう)に腰掛け、おにぎりをほおばりながら、普段の生活にはもちろん、仕事にも関係ない今の国勢にまつわる懸念を、特に何の切っ掛けがあったわけでもないのに、一国の政治家さながら一人勝手に思料していた。宇野の隣りに座り、日の丸弁当のしすぎで梅干しによる酸化で穴の開いたアルミ弁当箱を片手に昼食をとる、同僚の風間(かざま)弘(ひろし)の喋喋(ちょうちょう)しい話しかけも気にせずに。 「なあ、ひどい話だと思うだろ?」 「え?」  風間の問いによって、ようやっと己の専心から宇野は覚めた。 「何だよ、聞いてなかったのかよ。この馬の耳が」  風間は軽く毒づいて言うと、横に座る宇野の肩を自らの肩で押してみた。機械油が付着している白い半袖のシャツから覗けられる風間の上腕二頭筋は浅黒でたくましく、宇野も華奢な体ではないが、横で大便座りして昼食をとる筋肉質の風間と見比べると細身に窺える。年齢的には風間の方が年増だが、宇野の年齢と大した差はない。だが、風間の面構えは無精ヒゲで髪型も五分刈りにしているので、そのオヤジ臭い容姿から宇野よりもだいぶ目上の印象を受けてしまう。宇野もそのような状況を慮ってか、職場の上では風間よりも自身の方が先輩にあたるが、一応は砕けた敬語で風間に接している。 「あ、すいません。ちょっと空腹で飯に夢中になっていて聞いてなかったっす。で、何がひどい話なんすか?」 「ほら、戦争で死んだ兵隊ってのは、戦時中なら軍神扱いされて崇められて、まあ、町内とかでもその遺族は敬うような存在だったわけよ。所謂、『誉(ほまれ)の家』なんて板切れを表札の横に掲げられてさ。それがよ、戦争が終わったら周りの態度が一変。手のひらを返したように、戦死者に対しては積極的に戦争に参加した人間として、何ていうの、今の日本にはびこっている民主主義ってヤツだっけ。それに反してるから、逆に遺族の連中が国賊扱いされて、肩身の狭い思いをしてるんだってよ。世間から白眼視されて。それで戦地で死んだ場合は扶助金みたいのを国に申請できるらしんだけど、お国のために死んだのだから仕方ない、とか周りの目もあるので、世間からの見えない圧力で、生活に困窮していても、金の受給を堂々と頼めないんだと。そんなこんなで周囲からの目の重圧とか、一家の大黒柱も戦争で失い生活も苦しくなって、結局、そんな四面楚歌な状況の中で、例の誉の家に指定されていた家族が行き詰まって一家心中したって話だよ」 「確かに戦地から帰ってきた傷痍軍人も、いざクニに戻ったら冷たい目を浴びせられた、なんて話も聞いた事がありますからね。出征兵士を送る時は『讚(たた)へて送る一億の~』なんて歌って町内では持ち上げていたのに、いざ生きて戻ってきたら好戦的な人物扱いされてしまったという事も耳にした事はあります。兵士本人からすれば命をかけて国や家族のために戦ったというのに、まさか温かく迎えられるどころか、冷遇されるなんて思わなかったでしょうね。アメリカによる日本の体制変換ってのは、やはり国民に多大な影響を与えた。俺も戦時中と戦後の教師の言っていた事の真逆に転向した言葉には、青臭い話かも知れないけど大人は信用できないと感じちゃいましたから。鬼畜米英は米国信奉やら米国礼賛に変わってしまって、アメリカ様の民主主義よ、ありがとう。今まで私たちは日本政府に軍隊に騙されてました、みたいな。日本国民はあくまで軍国主義の被害者であり、GHQも暗にそのような立場に銃後の国民を置き、アメリカ自身がその軛(くびき)から解放した、という構図を作らせた。米国としては単に西側陣営に日本を組み込ませるために、好き勝手にその時々に我が祖国を利用しているだけなのに。逆コースなんてその典型ですよ」  饒舌かつ流暢に語るものの、政治的な時事話を冷静な態度で口にする宇野の姿に風間は、意外な一面の宇野を見た、と感じつつ、 「ほう、なかなか多弁になるね、宇野君。一家言あるって感じだな。さすが学徒出陣で出征した大学生だ。俺みたいな高卒とは違って何やら賢い解釈ができているね」 「そんなの関係ないですよ。世論の風潮から感じ取ると、日本は米国追従主義的で社会主義の筆頭大国のソ連との対立を煽る道具にされているように見える。表面的にそう思ってるだけです」 「俺はあんまり難しい事は知らないけど、それって『冷戦』構造ってヤツだろ」 「そうですね。アメリカとソ連の睨み合いは冷戦なんて呼ばれて、今やっている朝鮮戦争なんかはその両国の代理戦争なんて言われてますけど」 「まあ、確かに戦前や戦時から比べると色々と妙な違和感はあるけど、俺個人としては直接的には、そんな大きな世界情勢の話は関係ないし、戦争から帰った後も特別に差別的な扱いは受けなかったし、家族も無事だったし、それにもう戦争終わって五年以上も経つからな。前の戦争が過去の遺物になりつつ感もだいぶあるよね。例のサンフランシスコの平和条約を今月に結んだ事も相まってさ。宇野君だって、何て言うか、戦地から帰ってきて誹謗中傷みたいの類いを受けた事あるかい?」 「いや、特にはありませんし、むしろ順調に戦後の生活は進んでいるって感じです。世相で聞く噂と比較する分には」 「だろ。それにさっきも言ったけど、もう先の戦争から六年近くも過ぎてるんだぞ。莫大な戦災を被った土地だって、原爆を落とされた広島や長崎だって、やたらと戦争の悲劇に浸っているわけでは、もはやないんじゃないか。戦争している最中の全てが惨劇のみってわけじゃないだろ。何ら空襲の被害を受けなかった地域もあれば、戦場に赴いたものの無傷なまま、むしろ体重が増えて帰ってきた、飢えとは無縁の兵士だっている。俺だって中国戦線を転々としていただけで、ほとんどドンパチはしなかったからな。終戦頃に中国の北の方にいたら、ソ連兵に捕まってシベリアに連れて行かされるっていう恐れもあったけど、それも免れたし。それに戦争終わって中国から撤退する時も、地元の中国人から銀の万年筆をもらったからね、お土産に。まあ、戦争中とはいえ、いざ会ってみたらお互い見ず知らずの人間で、憎み合う理由なんて国や軍が発揚しているだけだから、俺個人としては正直早く戦争終わらないかなあ、程度の心構えだったし、戦中は。国粋主義者の奴とかは知らないよ。どこまで大東亜共栄圏思想の戦争に燃えてたかなんて。だから俺としては今のアメリカがばら蒔いている民主主義ってヤツか。それに対しては反対じゃないけどね。ま、良い方向に日本は向かってると思うんだけど」 「…………」  風間は今の日本の時流に対して肯定的な見解をしている。宇野はそう風間の心情を汲み取ると、思わず無言になってしまった。風間は宇野の言葉の途切れを察して、ポリポリと耳の裏を掻きながら薄笑いして、 「って何でこんな小難しい話を、昼飯しながらするのかってのも何だってわけだけど。妙に窮屈な会話になっちまって、ごめんな」 「いえ、そんな」 「たださ、宇野君が最近妙に人相が険しくなっているように見えるから、どうしてかなって思って喋ってた部分はあったんだよ。俺としては軽い感じで世間の与太話でもしてみようと思ってたのに、その宇野君の深刻ぶった表情につられて変にお堅い話なっちまった」 「え?」  深刻ぶった表情。自覚的にはそのような顔をしていると宇野は思っていなかったので、何気なく言ったであろう風間のその一言に宇野は虚を突かれた。  風間はそれ以上穿っていくような発言はせず、穴の開いたアルミの弁当箱を閉じると、 「さてと、午後の仕事は倉庫の積み込みだから、本格的な肉体労働になるな。ま、俺としては溶接とかの仕事より、そういう方が向いているから良いけど」 「トラックが二,三台来るって聞いてるんですけど、積み荷は何ですかね?」 「ダイナマイトらしいよ」 「ダイナマイト? 何でまたそんなモノを」 「いや、俺もよくは分からないけど、地方の幾つかの炭鉱が閉鎖するらしくて、それで使わなくなった爆発物みたないなモンが邪魔だから、いったんウチの工場で預かる、みたいな事をざっくりと工場長から聞いたな。おっかねえ話だけど」 「ウチの工場ってそんな保管の類いの機能は持っていないでしょ。盗難とか紛失とか簡単にできますよ。大丈夫ですかね」 「確かに。何でも金になりゃ引き受けちゃうんでしょ、ウチの工場長は」 「それにしても炭鉱の閉鎖ですか。今って復興事業で石炭とかは重宝されてるんじゃないですか。そんな時なのに閉鎖するってのもおかしな話ですね」 「ん? まあ、今の所、石炭事業は不振じゃないらしいけど、石油ってのが次世代エネルギーを担うとか何とか騒いでて、その先手を打つ形で早めに石炭事業を見限ったから、炭鉱を潰したなんて話を聞いたけど。それに石炭の掘削量も国内ではだんだんと尻つぼみになりつつあるなんて噂もあったな」  一九五十年代に入ると、アフリカや中東で大規模な油田が次々と発掘され、石炭より効率的なエネルギーが得られる石油に、世界の注目が集まるようになり、次世代の天然資源として本格的に期待されるようになった。石炭から石油への需要の移行は自動車生産などの増産も促し、日本でも原油の輸入自由化は戦後間もなくでは解禁されてはいなかったが、既に先見の明があるエネルギー産業では石油の有用性を見出していたので、時期尚早的な具合はあるが石炭にかかる炭鉱での掘削作業に見切りをつけ始めている企業も出てきた。 「石炭から石油、か」  一人そう呟く宇野。時代の移ろいがもたらす影響は何も人だけではない。産業や経済自体も変わっていく。 宇野はさらに思う。  学生時代にマルクス経済学をかじった記憶があるが、唯物史観を上部構造やら下部構造みたいな言葉で表していたけど、その両者というのは、結局、並行しながら進んでいくという事なのか。生産構造の規程によって、とどのつまり、人間の思想というか、精神構造も変化する。言い換えれば体制が変われば、自ずと団体にしろ個人の考えも変化する。いや、思考の転回が許される。同調圧力的な部分は戦前戦時、そして、現在もその多寡に違いはあるかも知れないが、感じられる。しかし、まるで戦中の過去を切り離したような、そう、まるで、あのような時代は無かった事にして……的な、負の空白期間として扱い、そんな周りの空気感を匂わせる居心地の悪さは何だ。それとも俺の方がズレている感のか? 「おい、そろそろ行こうや。午後の仕事前に軽く身体を動かしといた方がイイぜ。重たい荷物運ぶから、その途中でゲロでも吐いたらかなわんし」 「あ、はい」  風間の呼びかけで思慮中の宇野は反射的に応え、立ち上がると首をコキコキ鳴らしながら歩き始めた。照りつく夏の太陽。ただ歩いているだけでも汗が首筋や脇からにじみ出てくる。宇野は額に浮かぶ汗を拭いながら、やや前を歩く風間の筋肉で盛り上がった褐色肌の肩(かた)背(せ)を目にした。いかにも肉体労働者然とした屈強な容貌。  まるで武士(もののふ)か益(ますらお)の風格を感じるな。 宇野はある種そんな羨望の眼差しで、風間の後姿を眺めているつもりだった。だが、一方でどうしてか先ほど風間が言った、日本は良い方向に向かっている、という台詞に違和感を覚え始めた。 ただ、宇野自身その違和感の関係と心中の齟齬の事由は分からなかったが、自分の中で何やら煮えきれていないものがある、という情緒は掴み取れた。                    * 「おい、宇野。客人が来たぞ。会ってやれ」  仕事終わりも三十分前。熱気が漂う工場内で、バーコード禿のちょび髭で小太り、まるで恵比寿のような体躯をした、顔中に脂汗、というよりは文字通り機械油にまみれた油汗を染み込ませた工場長の、甲高いそんな声が宇野の耳に届いた。 「ですが、まだ仕事が残ってますけど」  宇野はそう言って防護マスクを取った。 「いいから、いいから。残念ながら面会人は女じゃなく男だけど、この場では不似合いな小綺麗な背広着ているホワイト・カラー組のお前と同じ歳ぐらいの若造だ。役所の人間かも知れん。別に後ろめたい事をしてるわけじゃないが、とっと退散してほしいんで、宇野、相手してやれ」  工場長は愛嬌のある笑顔を零しながら、宇野の返事を待たず宇野の尻を叩いて、宇野を訪ねに来た客のいる場所へ促した。 「あそこに突っ立てる奴だ」  そう言いながら搬入ゲートを指差す工場長。遠目、確かにこの工場では場違いなスーツを纏い、アタッシュケースを手にした若い男が開閉門寄りに立っている。この距離では宇野の目にはその男が誰か確認できなかった。 「じゃあ、後はよろしく」  と工場長は言うと宇野の背中を叩き、工場長はその場からさっさと去り、宇野はヨロヨロとその押された勢いで、若い男の方へ近づいて行った。 「小泉か?」  宇野は額の汗を首にかけたタオルで拭いながら、直立不動の姿勢で待つ若い男に尋ねた。 若い男は片手を上げると、 「よう、久しぶりだな、宇野」 「やっぱり、小泉か。何だよ、その姿は。まるで高級官僚の重役、というか……いや、そう、久しぶりだ」 「会社の用事でお前の実家の方の近くに行ってな。そうしたらまだお前の家が戦災逃れてあったから、ちょいと訪ねてみたらお前の母親がお前の働き場所を教えてくれて、ついでに寄ってみたんだが、迷惑だったか?」 「そうだったのか。いや、全然迷惑じゃないが……もう少ししたらこっちの仕事が終わるんだ。少し待っていてくれれば、この後馴染みの喫茶店で雑談でもしたいと思うんだけど、どうする?」 「構わんよ。じゃあ俺は外で待っている」  そう小泉は言うと、宇野の肩を軽く叩きゲートから出て行った。  宇野を訪ねに来た男、小泉紀夫(こいずみのりお)は宇野の大学時代の同窓生。学徒出陣以来の旧友との再会だった。  宇野は仕事場に戻る最中、久々に掛け値のない笑顔を漏らしながら、足場の悪い踏土(ふみど)を歩いていた。  天には宵の明星が覗けるが、まだ茜色の空が広がる時刻。バリっと背広を着こなした清潔感のある若者と、その相手には不相応な全身油まみれの作業着姿の若者が、共に並んで歩く様子が街道で窺えた。  小泉と宇野である。  二人は久しぶりの出会いのためか、何処かぎこちない距離間で無言のまま、宇野の頻繁に通う喫茶クラシックに向かっていた。間もなく店にたどり着く。 その時、宇野は一言告げた。 「生きていたか」  ただそれだけを。  小泉はしばしの沈黙の後に疲れたような表情で、 「互いにな」  と返し二人は店に入った。ドアに備え付けのベルが鳴る。 「いらっしゃいませ」  二人が入って一番に明るい声をかけたのは黛だった。黛はいつも一人で入店して来る宇野の横に見知らぬ男、小泉を連れている事に、刹那、訝しげな表情をしたが、直ぐに接客の笑顔に戻り二人を席に案内した。宇野と小泉は二人席で対面して座し、ともにアイス・コーヒーを頼んだ。何やら表情の厳しい宇野と小泉。その雰囲気を察して黛は注文を聞くとそそくさとメニューを持って去って行った。  宇野と小泉は黛が去った後も口を開く事もなく、所在なく窓の外を眺めたり、徒然なく肩を回してほぐしたり、どうにも落ち着き無い所作で互いの様子を窺っているようだった。  しばらくして黛が、 「ご注文のアイス・コーヒーです」  と言って二つの氷の入ったコーヒー・グラスを差し出すと、 「ミルクは結構。小泉は?」 「俺もいらん。宇野、砂糖は?」 「ブラックでいい」 「そうだな」  と宇野と小泉は会話して黛に、ミルクと砂糖の不要を手で横に振り示した。黛は軽く頭を下げてトレーを抱いて厨房のカウンターの方に戻って行った。宇野、小泉という二人の名前をさり気なく記憶して。  一方、宇野と小泉は二人してアイス・コーヒーを一口含むとようやっと会話を始めた。 小泉がコーヒーをソーサーに置き、 「いや、改めて何だが、本当に久しぶりだな」 「ああ、久しぶりだ」  とお互い伏し目がちになると、二人の間に沈黙が訪れた。宇野はグラスを手に取り僅かにコーヒーを口に含んだ。 やはり、薄いな。 その場の空気とは脈絡のない形容詞が宇野の頭に浮かぶ。すると宇野は苦笑いして、その様子につられて小泉も失笑ながら、 「はは、いざ面と向き合うとなかなかどうして、話のタネが見つからないものだな」 「そうだな。逆に積もる話がありすぎると何から聞いていいものか……そうだ。お前は今、何しているんだ? 見た目は勤め人そうだが」 「大学は出たけれど、ではないが、まあ、ご想像の通り普通のサラリーマンだ。貿易関係の商社に勤めてる」 「貿易関係か。慧眼だな。国際化をはかっている現状の日本からすれば、良い判断の業種選びだ」 「おいおい、そんなに考えた上で選んだわけではないよ。運が良かっただけさ。GHQの管理貿易から民間貿易の転換のどさくさに紛れ、うまいこと就職できただけ。それよりもお前は復員してから大学に戻らなかったのか?」 「まあな」 「そうか。俺はてっきり大学に戻って学位を取った後に、教職についていると思っていたんだがな。それがまさか肉体労働に従事してるとは想像していなかった。教員志望だったろ」 「学生時代はな。だが、戦地から帰れば色々と変わるもんさ。色々とな」 「…………」  再び会話が止まったその間を縫うかのように、小泉は背広の内ポケットから煙草を取り出して宇野の前に差し出した。宇野は首を横に振ると、小泉は煙草を口に挟み、テーブル横に置いてあった灰皿とマッチを手元に寄せ一服した。  宇野は肩肘ついて煙をくゆらす小泉を見て、 「金コウモリじゃなくてラッキーストライクか。洋モクを吸うとは良いご身分だな、小泉」 「嫌味はよせやい。これぐらいの贅沢品は見逃せよ」  小泉はバツが悪そうに灰皿に煙草の灰を落とすと、 「まあ、俺たちが受けた戦時教育から比べると、戦後はあまりにも急変しすぎた感はあるがな。皇道史観やら教育勅語やら軍人勅諭は何処へ行ったやら。現代じゃ戦中での教員の教えがまるっきり鞍替えして、当時の教師として指導に当たった者の中には、周りから白い眼で見られている教員もいれば、忸怩たる思いもなんのそので厚顔無恥に今ではアメリカ流の教育を賛美する元は国粋主義者の先生もいるわけだ。戦時中は教室で竹刀片手に鬼畜米英と叫んでいたのに調子の良いものだよ。教職者としての仕事にも疑問は湧く」 「同感だな。戦時中、報道機関も検閲的なものを大本営がしていたとはいえ、大日本帝国万歳で神の国と両手を上げて礼賛していたが、戦後は翻意も早々にジャーナリズムの責務も何も恥じらいなく捨てて、今度はアメリカ賞賛かつ日本軍による太平洋戦争政策は誤りだったってな具合だ。日本人というのはそんなに変わり身の器用な人種だったのかと思うぐらいだ」 「はは、どうなんだろうな。ま、おかしな時代だったんだよ、あの頃は。それにもう終わった事さ」 「終わった事か……お前の中では整理がついているんだな」 「え?」 「いや、何でもない。それよりも小泉。他の仲間とは連絡は取れていないのか?」 「俺が知る限りでは、木下と桑田は無事帰ってきたらしい。西岡とはこの前に直接会った。左腕に銃痕があったが、特に体には影響がなく元気そうだったよ。長谷川と富澤は……ダメだったらしい。あくまで俺が聞いた話だけどな」 「……そうか」  囁くように宇野はそう吐くと、小泉に向けて人差し指を上にして一を示し、その動作に感づいた小泉は内ポケットから煙草を取り出し、宇野は箱から煙草を一本取り出した。宇野が煙草をくわえると、すかさず小泉はマッチを擦って火を点した。 「すまんな」 「いや。だが、さっきの話に戻るんだが、何人か旧友の元に訪れて安否を確認してはみたんだが、意外と饒舌に戦争の体験を一献交わしながら語ってくれてな。俺などはあまり語れるような事はなかったが、チャンコロ(中国人の蔑称)を短刀で刺しまくって殺したとか、米英の敵機をゼロ戦全盛時代は撃ち落としまくったとか、一聴すると聞いてて胸クソが悪くなるような自慢話だったんだが、みんな泣きながら話すんだよ。酔いもあったかも知れんが、畜生! 畜生! って言いながら、頭をテーブルにぶつけたりして。その姿を見て、俺は思ったよ。死ぬほど後悔してるんだな、とな。さすがにアメリカ流民主主義が広まった今では声高々の台詞としては減ってはいるが、一昔前は多くの将校クラスの連中は戦場の武勲を自らの手柄の土産話として、居丈高に口舌を弄していたがな。末端の兵士からすれば生きるか死ぬかの選択肢の中で、どちらも地獄の結果としての戦いに過ぎなかったというのににな。恐らくそんな下の兵隊たちは思い出したくもない経験ではあるが、誰かに吐露したかったのかも知れんよ。懺悔や告解の類ではないが、俺らの仲間も同じ心情でな」 「それぞれがそれぞれの戦後を背負ってるという事なんだろう」 「随分と淡白だな」 「俺もお前と同じであまり語りえるような話はなくてね」 「…………」 「まあ、気にするな。だからこそお前と二人で話したいんだよ」  宇野が一言断りを入れると、小泉はマッチの火を息で吹き消した後に、一つ深呼吸をして仕切り直した表情になり、宇野に質(ただ)した。 「そうだ。ちなみにお前さんは何処に紛れ込んでいたんだ?」 「ん? ああ、海軍の方に飛ばされたよ」 「艦艇の配属か?」 「いや、飛行機乗りの方だ」 「場所は?」 「実は外地には出てなくてな。内地をウロウロと転属させられていたんだ。最初は横須賀に配備されて、その次は千葉の香取。そして、終戦間際に鹿児島の鹿屋基地に飛ばされた。そこで終戦を迎えたわけだ。特攻隊の生き残りとしてな」  小泉が煙草の灰を灰皿に落とそうとしたが、その煙草をつまんだ指が一瞬止まった。 「特攻?」 「ああ。当時はフィリピン戦線がかなり悪化してる時期だったんで、俺の航空隊は俺が配属されたらすぐに特攻隊に様変わり。だけど結局は直掩機(ちょくえんき)乗りのまま俺は終わって、生き残ってしまった。いつ特攻機に乗るのかとビビっていたが、運良く俺が搭乗する前に終戦を迎えてしまったわけだ。所謂、おまけの人生を俺は歩んでいる最中なんだよ、今もこれからも」  宇野は煙草を口に挟んだまま口角を上げて自嘲気味に告げた。  特別攻撃隊。 略称は特攻隊。海軍では神風特別攻撃隊と称し単純に「神風」とも呼ばれていた。  特攻隊の戦法は通常攻撃とは異にし、戦闘機自体に爆薬や爆弾を積んで、搭乗者(パイロット)その者もある種の鉄の兵器の一部となり、主に敵空母などに突擊してダメージを与えるという、文字通り乗り手は必死が必至の空撃戦闘法を行うための部隊である。  所謂、「特攻」は戦局が進むにつれ日本軍の劣勢状況から編み出された、玉砕覚悟の自爆行為として生まれた思想もしくは戦法と捉えがちだが、既に戦時間もなくから一つの作戦として立案はされていた。だが、それはある意味、秘儀的な手段として扱われ、特攻を実行に移すなど想定はされていなかった。当然ではあるが搭乗者の自死が前提。いくら戦争とはいえ生命倫理にも道徳観念にも反する、非人道的逸脱行為である事は間違いない。  しかし、戦況の悪化によって事態は変わってくる。そうなると戦争や人命に対する概念も変更を余儀なくさせる。戦陣訓の一つである「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)をうけず」の一句に依り、軍は敗戦間際の傾国の渦中にあるも、特攻、を採用する。その起死回生の体当たり攻撃に一縷の望みを託したのは、一九四四年(昭和十九年)十月二十一日のフィリピン特攻から始まった。遂に日本軍は禁忌にも近い戦いの術を実行してしまう。  神風特別攻撃隊は大西瀧治郎海軍中将の命令によって編成されたと言われ、特攻の祖として呼ばれているが、高位の司令官といえども必死の戦術を一軍人の進言によって決定されるわけにはいかない。無論、軍令部の上層部の承認を得ねばならない。  命令としての特攻は行わないが、特攻を募る所、自発的に本人が望むべくならば、その意志に反対はしない。  その繕ったような定義の下、大西は源田実海軍大佐との入念な打ち合わせをして、海軍大将及び軍令部総長の及川古志郎に提言。及川もそれを承諾。大本営からも了解を得る。こうして、特攻、の戦術的正当性は附与される。  一方で当時の戦況ではもはや特攻も止むなし、という趨勢は航空機ならずとも、その他の特攻部隊も編成されていた。  海軍の特攻作戦は空撃のみではない。特攻兵器は航空機以外にも既に製造されていた。  一つは「回天」と呼ばれる人間魚雷。その名の通り搭乗者自身が魚雷に入り込み、それを操作して敵艦に必死の特攻を行う自爆兵器。それに「震洋」と呼ばれるモーターボート型の爆弾付き特攻兵器。水上か海中かの違いだけで回天と同じく、相手艦隊に人身そのものが突撃する事は変わりない。そして、特殊滑空兵器として他の航空特攻機とは異にする人間操縦爆弾機とも呼ばれた「桜花」。  それらの兵器を実践投用して、日本軍は大戦末期を凌いでいった。特攻作戦当初はアメリカも「スーサイド・アタック」と称して、日本軍の特攻精神に慄(おのの)いていき、その対処に難儀しそれなりの成果を上げていたが、時局が進むにつれもはや特攻という戦術は米軍に攻略され、その攻撃性の成果としてはジリ貧状態になっていった。 それでも軍は特攻を止める事はなかった。他に有効な策略がないという事もあるが、それ以上に『悠久の大義』という思想が特攻員たちに否が応にも万延していたからである。  悠久の大義。それ即ち天皇への忠義であり、祖国への死生を超越した殉死精神。そのような思想が相まって、特攻という戦術はもはや作戦的成果を求める機能をなくし、まさしく精神論、攻撃の結果の如何よりも、特攻して自死する事に意義がある、という事に収斂されていく。つまり、死ぬ事に意味がある。そこには既に戦争は存在しなかった。 「特攻、か」  深い溜め息をつきながら小泉は言葉を漏らした。そんな小泉に宇野は軽佻(けいちょう)な口調で返す。 「なあに、実質的には無傷で戦争を終えてしまったからな。俺はさっきも言ったが直掩機乗りだった。つまりは特攻していく同士の特攻機を、突撃する目標艦まで護衛するのが仕事だ。ただただ何人も仲間の特攻死を見届けいただけ。送り人みたいなもんだ。はは、気楽なものだったさ。ただ……」  捨て鉢な表情をしながら話していた宇野は急に真顔になると、 「敷島隊が特攻してアメリカの護衛空母のセント・ローを沈めた戦果を天皇が聞いた際に、『かくまでやらせなければならぬという事は、誠に遺憾であるが、しかしながらよくやった』と天皇自身が言ったか言わないとかを知った時は、どうにも虚しい感じにはなったがな」 「お、おい。恐れ多くも陛下に対して誹りみたいな発言をするな」 「別に悪口(あっこう)をついているわけじゃないよ。それに天皇は神様じゃなくなったんだろ? 日本国民の象徴になったんだろ。いや、人間に様変わりしたんだっけ。だったら俺らと同じ土俵に立っているわけじゃないか。口振りに必要以上の気を遣う理由はないだろ」  自虐的な笑いを漏らし言葉を連ねる宇野。対して、やや焦思した表情を浮かべた小泉は周りを見回しながら、 「お前な、何もわざわざ皮肉ったような言い方で嘯いた所で得はないぞ」 「何も虚勢を張っているつもりはない。ただ時折、というかいまだに、というか今になってなのかな。妙に頭に浮かんでしまうんだよ。あの時の戦争は一体何だったのだろうかってね。どうしてか復員直後の頃よりも、やたらと戦時中の記憶が鮮烈に熾烈に想起してしまう。理由は分からないがな」 「それにしたって毒づいた喋りは良くないぞ」 「万世一系の天皇陛下にか。それともかつて大日本帝国軍と呼ばれた大本営という組織に対してか。まあ、お前が俺の言っている事をどう取るかは構わんが、むしろ俺はお前に聞きたいがな」 「俺に? 俺に何を聞きたいんだよ」 「お前はどうやって戦争をくぐり抜いてきた」 「俺は……陸軍に配属されて、あの、その、まずはインパールに飛ばされて、その後はニューギニアの方の戦地でウロウロしていたよ」 「インパールにニューギニアだと?」 「あ、ああ。まあな」  訝しげな表情を浮かべて小泉に問う宇野に対して、小泉はバツの悪そうな気色を見せ宇野から目を逸らし、静かにアイス・コーヒーを口にした。  宇野はそんな困惑した顔を窺わせる小泉の状況を斟酌せず畳み掛けるように質(ただ)した。 「まさしく地獄の戦場を経験しているじゃないか」 「…………」 「なあ、本当は俺よりもよっぽどお前の方が、あの戦争に対する禍根、いや、恨み辛みの類い以上に一家言があるんじゃないか?」 「俺は別に何も語るべきものなんてない」 「喰ったにも関わらずにか」 「何?」 「不躾な質問かも知れんが、インパール作戦に関わった後にニューギニア送りの戦闘だろ? 本当に八大地獄の巡りみたいじゃないか。戦争末期のあそこでまともな兵站など望めるものじゃない。そんな中、お前は奇跡的にも生き残ったという事は、陸軍の実際の戦場を経験しなくとも、海軍出の俺にだって予想は出来る。孤軍奮闘状態の密林下での戦闘、いや、行軍では、むしろ戦死や病死などした同士の骸が糧であって、それは異常な状況ではなく常識的な……」 「よしてくれ」  科学者のように冷静かつ分析的に話していた宇野に、小泉はコーヒーを片手にしながらも、店内に流れるジャズのBGMよりもやや増しに、語気を強めてそう言い放ち、宇野の台詞を遮った。  宇野も前のめりがかった体型を背もたれに戻し、 「すまん」  と一言漏らすと目を瞑り、自らの眉間を親指と人差し指でつまんで腕を組み、腰を深くより座席に落とし沈黙した。  インパール作戦とはインド北東部の都市であるインパールを制圧して、援蒋ルート(戦時、連合国軍が対日攻略のため、主に米国や英国やソ連が中国に対して援助物資を行う際に使われた、その軍事支援の輸送路を指す)を断つ事を目的とした日本陸軍の戦略である。だが、当初から無謀な作戦との認識は軍内でも強く、実際にその作戦は大敗北を喫する結果に終わる。さらにその敗走も過酷と酸鼻を極め、退路の最中には病死者や餓死者が続出。中には飢餓のあまり自決する兵士もあらわれ、実に戦死者の六割は作戦中止後の犠牲になっている。参戦した兵士約十万に対して、その犠牲者は約三万人以上で、行方不明者を含めると五万人以上とも記されている。退却の道中はそれら数多の兵士の死者の連なった骸をして「白骨街道」とも呼ばれた。  オーストラリアの北に浮かぶニューギニア島で繰り広げられた数々の連合国との戦闘も悲惨を極めた。ニューギニアで実行したほぼほぼの作戦は失敗に終わり、戦争末期になっては米軍の包囲網にさらされ脱出する事もかなわず、現地に配属されていた約十四万人の日本軍兵士は、最終的に日本に生還できたのは一万人程度であった。  熱帯の戦地ではマラリアやチフスなどの感染症で兵士が病死していくのは言うまでもなく、補給の面でも兵士たちを飢餓に苦しまされ、餓死者は後を絶たなかった。そして、追い詰められた状況下に置かれた兵士たちは、人肉食を行い何とか飢えを凌いでいた。 飢えとの死闘ではガダルカナル島での戦いが有名だが、極限状況の最中、食人行為はある種常態化していくのは必然的。歩ける兵士は伏した兵士の肉を喰らい生き延びる。戦友の、文字通り血なり肉なりを啜りまたは食い、同胞はそれをして命の糸を何とか紡ぐ。戦場での止むを得ぬカニバリズムは、当事者からすれば異常な情緒的の動きではない。慄(おのの)く事柄でもない。生への執着と本能がそのような選択肢に決するが故。  小泉はしばしの黙(しじま)の後に深い息を吐くと、 「……確かに仲間の屍が今の俺を生かしてくれているのは事実だ」 「小泉、だからこそ俺はお前の胸襟を聞きたいんだよ。先のアメリカとの戦争に何も思う事はないのか?」 「正直、俺は何かを思う思わないよりも、忘れたいし振り返りたくもないんだよ。ただ兎に角、参戦して兵士としての義務は全うしたはずだ、と総括して終わらしたい。後々の世代に戦争の悲劇とやらを語らなければならないとは分かってはいるが、経験した事実としては堂々と胸を張って言えたような事柄じゃない。お国のために戦ったやら犠牲になったやらの被害者意識でくくって自分を慰められるような体験談にすらならない。せいぜい伝えられるとしたら極限状況に置かれた人間の、いや、俺自身の残忍性や非情性。それこそ悪魔に魂を売るなど実は容易い事なんだという戒め程度に過ぎない。悪いが俺には周囲の人間や後世の若者に戦場の記憶を語れと言われれば、口を噤んでしまうだろう。兵士としての義務としては、その放棄と逃避になってしまうのだろうが」 「…………」 「だが、戦友の犠牲に成り立って生き残った俺は、自分自身、無駄に死んではいけない、投げっ放しの人生を送ってはいけない、と俺は勝手な責務を課しているつもりだ。散っていた仲間たちへの手向けの意味も込めている。それは俺にとってこれからの生き方における当然の義務だとも考えている。じゃなきゃ今後俺が生きていく資格にはならん。俺は亡き戦友たち支えによって生かして貰っているのだからな。過去の戦場の記憶は拾い難いが、未来へ向けてはあの時の苛烈な思い出を消してはいけないと、忘れたいやら振り返りたくないと言っておいて、矛盾に感じるかも知れないが、そう胸に刻んでいる部分はある。せめて戦場の経験を言葉で語り難いというのなら、俺が生きるという行為で、格好良く言えば背中で語っていきたい、とは根差している」 「贖いの思いからか?」 「かも知れん。しかし、ただ罪悪感と断じてしまうにはあまりにも陳腐な気がする。俺の頭に残る一抹の慟哭が、心中、せめて俺をそう突き動かしているのかも知れんな」  自我や自信や自負。小泉の雄弁に発するこれから生きていく上での決意表明の一言一言。そんな自分にはない眩しさを感じた宇野は、自分よりも戦時中、余程壮絶な経験をしたに想像し難くない相手であるにも関わらず、その対峙者である小泉に向かい憐憫の視線は送れなかった。むしろ羨望の眼差しが強かった。一種の矜持すら小泉から感じ取れた。 〈生きる資格、か〉  不意に宇野はどうしてか肩身の狭い思いに見舞われた。すると宇野は鼻をズズっとすすった後に、 「小泉よ。俺は恥ずかしながらの特攻の生き残りだ。おまけやお釣りの感覚で人生軽薄な感じで過ごしているんだがな……まあ、少し話は変わるが、任務を全うすべく散華していった特攻隊員はその前には大概の連中は遺書を書くわけだ。『きけ、わだつみのこえ』ではないが、その遺書内容ってのが実を言うと、天皇陛下万歳! やら、家族やお国のために自分は特攻で殉じて参ります、みたいな果敢かつ忠心的な最期の言葉ばかりじゃないんだ。川柳に倣って自虐的にユーモアな一句を残した遺書を書いた奴も多いし、何で俺が死ななければならないんだ、理不尽すぎるぞクソッタレ、みたいな単純に未練タラタラな文面で遺書を残した隊員だって沢山いてな。特攻というと御身を国に捧げた軍神扱いしがちで、さらには美談に仕立て上げてしまうが、人間、死を目前にするとやはり本音が出るのが情。泣くも笑うも阿呆の一生なもので、遺書の文面はやはり人それぞれなんだよ。不謹慎かも知れんが俺は遺書といっても十人十色なものだな、となかなか興味深く感じたよ。ただ……」 「ただ?」 「覚悟を決め自尊して特攻に身を捧げた者もいれば、最後の最期まで愚痴りながら特攻した兵士もいる。だが、結局は玉砕をもって奴らは等しく任務を全うしていった。連中はとどのつまり、特攻を果たしていったんだよ。悲しくも卑屈で、一見、達観したような態度を見せて、その実、まだ困惑しているような弱々しい笑顔で出立していった特攻の仲間たちだったんだよ。そして、何だかんだ言っても、あいつらの飛んで散り逝く前に交わす別れの杯を飲む姿は凛々しかった。同胞や仲間というと固く熱い絆で結ばれていると思われがちだが、兵舎内ではイジメは横行していたし、先輩兵士や上官からは容赦ない問答無用の鉄拳制裁の嵐。綺麗事じゃすまされないのが戦友であり戦場なのはお前も経験してよく分かっていると思うが、それでもやはり同じ戦地で生死を共にした腐れ縁の間柄なんだよな。詰まる所、当たり前ではあるが、連中の死に向かっていく姿には隔てなく敬意を表するしかない」 「…………」 「一方、俺は俺で直掩機を操縦しながら、いつ俺が特攻機に乗る番になるんだ? とこれから敵艦に突っ込んでいく仲間の兵士を横目に、正直ビビっていた。何の気持ちもないまま、ただ大本営の命令に従い戦争に紛れ込んでいた俺だったが、実際に特攻という確実なる死が近づき始めた時に、やっと戦争というものを意識し始めた。まあ、単に自死するのが怖いというだけで、この戦争に何を意味するものがあるのか? のような思想的なものは当時には浮かんじゃいなかったがな。さっきも言ったが、単純にいつ巡ってくるか分からない特攻死というものに恐怖を抱いていただけ。そんな状態だったからいつも緊張していて、毎日のように腹をくだして下痢していたんだ。恥ずかしながらの話だがな。そして、迎えた八月十五日の正午。前日から、翌日に天皇陛下が直々ラジオで重大な話をするというのは聞いていて、正午には兵員は集まって放送を拝聴するように、と将校から言われていたんだが、俺はその時間になっても便所に引き篭っていてな。無論、腹をやられていたんで。所謂、重大な話ってのは玉音放送、つまりは終戦の詔書だったわけだが、俺は天皇の『朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ』というような敗戦を認めたポツダム宣言の受諾の台詞を生放送では聞いてなかったんだ。後々になってその放送を聞く事はあったが、どうにも俺は当時流れた生の玉音放送を聞き逃した頃は、いつの間にか勝手に戦争が終わったという感慨に襲われ、何ら安堵感も悔悟の念も抱く事はなかったな。便所から戻ってきたら、今まで恐怖感や緊張感に満ちていた特攻への思いが、天皇の収斂した一言で脆くも崩された。はは、便所から帰ってきたら、知らぬ間に戦争は終結していたわけだぜ。ただただ脱力感というか虚無感ばかりが俺を覆っていたよ、その節はしばらくな。だから終戦したという現実がなかなか其の時は、いや、今も掴みきれていない感じがする。そう、俺にはまだ聞こえるんだよ。学徒出陣、雨の明治神宮でジャブジャブと音を鳴らし行進した時の足音が耳に残っている。俺は玉音放送のその刻(とき)に糞をしていて聞いちゃいなかった。だから戦争の終わりを告げられたはずだったが、何というか、そうだな、だからといってそれが達成されたケジメというものには繋がらなかった。実感としては終戦の自覚は、今現在もなお薄いのかも知れんな、五年以上過ぎたにも関わらず」 「それは、お前にとっての戦争がまだ終わっていない、という情緒の指針を意味しているのか?」  小泉は親指と人差し指に先端の大部が炭化した煙草を挟みつつ、強い眼力をして宇野に尋ねたが、宇野はそんな深刻な顔を浮かべた小泉に対して割と即答する感じで、 「分からん」  と放るように答え、コーヒーを一口飲んで見せた。意外と素っ気ない宇野の反応を穿ちながら小泉は、煙草を焦がしている落ちかけの吸い殻を灰皿に落とす。  宇野はその灰皿に吸いかけの煙草をおいて、左右の手の指を交差してテーブルに両肘をつくと 「ただ我が国における戦争の立ち位置というのには疑問が残る。日本国民の素振りにもな。偉そうに言わせてもらうと」 「戦争の立ち位置? 国民の素振り?」 「今ドンパチやっている朝鮮戦争さ」 「朝鮮戦争だと」 「ああ。まあ欧州戦争の時のように、漁夫の利のように他国の被害が日本の経済を潤おしているという図式がな、どうにも皮肉というか納得いかないというか」 「米ソの冷戦の渦中に巻き込まれている朝鮮を同情し、日本がそれを餌にしている事に不快感があるという事か?」 「一種の不快感があるのは否めないが、別に朝鮮に対して全幅の被害者意識を持っているわけではないよ。朝鮮は朝鮮で今まで事大主義の政策を取ってきたツケがあるからな」 「事大主義?」 「今まで朝鮮が歴史上とってきた外交政策さ。朝貢外交に代表される日和見的な外交手段。朝鮮は小国ゆえに常に大国に寄り添って外敵からの支配を免れていった。言わば、虎の威を借る狐、のような政策だが、その皺寄せが今になって冷戦に巻き込まれる形で出てきた。アメリカとソ連のという列強に挟まれ、東西どっちつかずのスタンスの果てに朝鮮戦争の勃発だ。日本は早めに手を打ちアメリカに尻尾を振ったがな」 「何やら嫌味がこもった言い方だな」 「朝鮮がどうとか日本がこうとかの話ではない。ただ日本、ひいては日本国民がこんな簡単に風見鶏的な米国追従の方策に賛成しているのには妙な違和感を覚えてはいるがな。混沌とした世界情勢下での生き残りに必死なのは理解出来るが」 「お前は生真面目すぎるんだよ。もう今さら何にこだわりを持つ。いいじゃないか、戦争はとっくの前に終わったんだ。もう俺らは普通に生きていけば良いんだよ。そんな深く考えるな」  少し苛立った口調の小泉は、勢い任せ煙草を灰皿に強く押し潰した。一方で宇野は灰皿に置いていた、ほぼ炭化した自分の煙草を軽くもみ消して、 「今年は暑い。どうやら夏はまだ続きそうだな」  と呟いた。  賑わう店内。他の客連中とは異質の雰囲気を醸し出している宇野と小泉。そんな両者の様子を一人の女給は眺めていた。黛光葉。若い男同士が何やら深刻そうに陽気な場には不相応な気配で話し込んでいる。気にはなるが会話の内容は黛には聞こえない。黛は同僚の女給に客の注文の催促をされると、不意を突かれた反応をして慌てて客席に向かった。その間に宇野と小泉は互いの近況に軽く触れ、やがて店を後にした。盛夏の夜の独特な臭みが、二人が店内を出た途端に包み込む。 「もう少し色々な世間話がしたかったんだがな」  小泉がアタッシュケースを片手に宇野に話しかける。宇野は両手をカーゴパンツのポケットに突っ込むと、 「十分したさ。それにお前さんと話せて、どうやら自分のもやもやが分かってきた」 「もやもや?」 「あ、気にするな。兎に角、久しぶりに会えて良かった。無事にお互い再会できたのは何よりだ」 「そうか……そうだな。じゃあ、俺は帰るよ」 「同じ道か?」 「いや、駅は逆方向なんでな。ここで別れよう」  そう言って小泉は力なく手を振り宇野に背を向けた。小泉が二,三歩進むとその後ろ姿に向かって宇野は、 「小泉」  と呼びかけ、小泉が振り返ると宇野は、 「やはりお前は戦友(とも)だったよ」  と告げた。小泉は僅かな笑みを零して返すと、再び前を向き直しまた歩き始めた。宇野はしばらく小泉の去りゆく背後を見送ると、自分もまた反転して小泉とは逆方向の帰途の道へと進んでいった。
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!