[帰還]

1/1
10人が本棚に入れています
本棚に追加
/5ページ

[帰還]

 「大日本帝国海軍航空隊曹長、宇野正成(うのまさしげ)。恥ずかしながら海軍鹿屋航空基地より、神風(しんぷう)特攻にて散華する事なく、再び本土に帰還して参りました」  雨の明治神宮外苑球場、一九四三年(昭和十八年)十月二十一日の出陣学徒壮行会以来、目の当たりにしていなかった息子のその言葉を聞いた母親。軍服姿に制帽を被り直立不動して敬礼している、気持ち頬がこけた顔に見えるも精悍な態度の我が倅。母親は無言のまま勢いよく我が子に抱きついた。涙を流しながら、よく帰ってきてくれた、と何度も連呼し自らの顔を長男の胸にすり寄せて、さらに泣きじゃくった。母親の目には息子の頬が少し痩せこけているように見えたが、息子の汗交じりの体臭、息子が自らの肩に手を添える温もり、先ほどの精悍な息子の声がいまだに頭の中で木霊(こだま)している……そう覚えると、五体満足で戦争から無事に戻ってきた、と改めて実感し、滂沱(ぼうだ)は安堵の拠り所になった。  一方で、生きて帰りしあさましき、と愚息たる悔悟の念にとらわれているその嫡男は、眉間に皺を寄せて、険しい表情のまま、よりによって二十二歳の自分の誕生日に家に戻るとは……と苦々しく思っていた。だが、母親の感嘆にも似た嗚咽を聞くにつれ、とりあえず自分は生き延びてしまったのだ、と自覚し直し母親の体を強く抱きしめた。  時は一九四五年(昭和二十年)八月二十二日。場所は東京大空襲の被害が割合少なかった目黒。息子とその母親は、戦災を免れた堅固な佇まいを誇る、瓦屋根の木造の彼らの実家の軒先で、真夏日、晴れた夕方の頃、衆人環視も気にせず抱擁を続けていた。その様子を年配者は涙ぐみながら注視し、一方、ボロを纏った少年たちは不思議そうに指をくわえながら眺めていた。  この再会の相貌の語りは、今上天皇の玉音盤放送による日本の敗戦宣言より一週間後に叶った、母子の叙景でもあった。
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!