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ある日、トモミは父が代表を務める法律事務所の近くに来ていた。学校のテニス部の仲間たちとラケットのガットを買いにお茶の水まで足を伸ばしたからだ。トモミは父の事務所があることをほとんどの友だちに告げていなかった。なんとなく、この通りの向こうに事務所があるんだよなと思っていたらしい。
「お父さん、女の人と歩いていたの」
「依頼人じゃないの? それか偶然に並んでいたとか?」
リュウスケの言葉にトモミは首を横に振り、「腕を組んでいたの。とても仲よさそうな雰囲気で、とても声を掛けることなんてできないくらい」
「まさか。本当にオヤジだったの?」
トモミが驚くように、リュウスケだって父親が浮気するとは想像できない。いつも正しいことしか言わない父親だけに、浮気は考えられなかった。
「どうするの? 母さんに言うの?」
「まさか。言えないよ。だからお兄ちゃんに相談しようと思って」
「だよな。言えるわけないか」
リュウスケは、大きな伸びと一緒に欠伸をした。仮に本当に浮気をしていたら、自分は父親を憎むのだろうかと考えていた。トモミにも言えないが、浮気を否定することはできなかった。父親にだって家族には言えないことがある。それを話せる相手を求めた時、浮気をしてしまうように思えた。今、ナギサは何をしているのだろうと考えた。
ベッドの上で寝転んだトモミが寝息を立てていた。
「オイ、ここで寝るなよ」
リュウスケは、妹の腕を掴み揺すった。「うん、分かっている」と答えたトモミだが、日ごろの練習で疲れているのかなかなか起きそうにない。こんな間近で妹を見るのは久しぶりだった。お互い大学生になれば、さらにゆっくりと話す機会はないだろう。そして、どちらかが先にこの家を出ることになれば、年に一度、数年に一度、どんどんと顔を合わせることもなくなる。家族とは言っても、ずっと一緒に暮らすことはできなかった。
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