雨露のバラード

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 話題は主に、ニュースアプリで見たばかりの芸能ゴシップと、明け方の消防車の音の正体。健康診断を控えた悪あがきで彼へ海老天を差し出すと、見返りに椎茸が寄越された。 「あっつい……」  気づけば首筋に汗が流れ、それを拭いながらうどんを啜る。 「でもうまいな」 「うん」  空腹という調味料を差し引いても、蒸し暑い初夏に啜る鍋焼きうどんは悪くないらしい。 「なあ、手、出して」 「なに?」  あまりに何気ないトーンで言われたから。缶ビールの結露で濡れた左手をワイシャツで拭いて、はい、と、ぞんざいに手のひらを上へ向けて出す。  椅子の下でごそごそとポケットを漁っていた彼は、やがて、握ったこぶしをぱっと開いた。大きな手のひらの真ん中に、銀色の細い輪っか。そのまま俺の手を取って、摘んだその輪っかを俺の薬指に通す。関節で少し引っかかり、そのあと、するりと根元まで進んだ。 「言っとくけど、ただの指輪じゃないからな」 「……そう」 「……迷惑だった?」 「そうじゃないけど」 「じゃあ、なに」 「なんでこのタイミングなんだよ、とは思ってるよね」  こういうのって。お互い残業帰りのくたびれた夜、出来合いの鍋焼きうどんと発泡酒に見守られながら行う儀式ではないのじゃないかな。 「それは、まあ、一応理由があってだな」  彼は俯くように頬杖をついて、ちらりと笑った。 「今日でさ、俺たちが一緒に暮らし始めて、二年経った」 「……よくおぼえてるね」 「給料日前だったろ」 「そうだっけ……あー、うん、そうかも」  梅雨の時期だったのは憶えている。四月までに新居が決まらず、ちょうど空いたこの部屋に運良く滑り込んだのが六月だった。急に決まった引っ越しに、ずいぶんばたついたっけ。当日、いつまでも終わらない荷解きに先に不機嫌になったのは俺で、それを宥めるのが嫌になった彼もそのうちに不機嫌になった。険悪な空気のまま近所のラーメン屋に行き、少し並んだが思ったよりずっと旨かったおかげでどちらともなく機嫌が直り、なんだか奇妙な心地のまま段ボールだらけのこのキッチンでセックスをした。 「結婚しよう」
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