第一話

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個室トイレのドアを閉め忘れていて誰かが俺の背中に手を当てて撫でていた。 足音に気付かなかった、俺が入った時は誰もいなかったがいつの間に入ってきたんだろう。 吐いてるところを気持ち悪いと思わず心配してくれる、いい人もいたものだ。 傷心した俺の心に、その声はとても安心出来た。 返事をしたいが口を開くと吐きそうになるから小さく頷いて返事をした。 背中を撫でていた手の温もりが離れて俺から遠ざかる足音がコツコツと響いていた。 トイレもしないで何しに来たんだ?変なの。 やっと吐き気も落ち着いてきて、便器から離れた。 吐けるものは全部吐いた、唾液しか出なかったが… でも、ちょっとだけ気持ち悪いのが治まりため息を吐いた。 トイレの壁に寄りかかり座る、掃除してても汚いだろうな…デート用に買った服だからもう着ないしと自虐的に笑う。 萎びた野菜みたいに元気がなくなる、水分を吐いたから本当に萎れているのかもしれない。 萎びているのにまだ涙は出てくる、俺ってこんなにガラスのハートだったんだって自分でも驚いている。 好きだったなぁ…出会いはクラスメイトに数合わせで呼ばれた他校の高校生同士の合コンだった。 高校生で合コンとかちょっと背伸びして大人っぽく見えそうだと軽い気持ちで参加したのが悪かったのか。 家族以外の女の子と話した事があまりなくグイグイ来る女の子に流されるカタチで恋人になった、ちょっと俺も可愛いなと思ってたし… 友人に彼女の写真を見せたら「ギャルかよ!」「優紀くんには似合わないよ」と大反対された……その時いつか友人も認めるベストカップルになってやるって意気込んでいた。 それがこれだ、1ヶ月で別れましたとか友人に合わせる顔がない。 頬に涙が伝い静かなトイレに再び足音が響いているのに気付かなかった。 「ははっ、向こうは遊びでもこっちは本気だったっての!…うっ、くっ…」 「………」 男が泣くな!と父に泣く度に言われて育ってきたから泣きたくない…泣きたくないのに…涙が溢れて止まらない。 視界がぼやける、目の前に誰かがいるように見えるけどよく見えない。 男子トイレの個室は一つだけだから独占してしまって申し訳ない、けど動けない…もう何もかもが嫌になっている。 ふと頬になにかを当てられ冷たくなって一瞬驚いた。 泣きすぎて顔が熱くなってしまった今ではとても冷たさが心地よい。 とろんとした顔を向けて頬に当てられたものを触る。 ペットボトルだろうか、俺が掴むとペットボトルが手の中にあった。
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