夕暮れに蜂蜜を垂らす係にも分厚い焼きたてホットケーキを

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 あの日、私は帰宅してから母に酷く叱られた。けれども、私は耐えることが出来た。遠くに響く17時の鐘の音が、私の強い味方として、傍に寄り添っていてくれたから。  その後、私は新しい“熱中できるもの”を見つけた。勉強だ。寝る間も惜しんで勉学に励み、母が望んでいた大学よりも、遥かに狭い門をくぐり抜けた。そして成人したその日に、密かに貯めていたアルバイト代で家を出た。後は君の知っている通りだ。どうにか今の会社に入り、ここまで上り詰め、学費も何もかも全て母の口座に返した。  最近になって、母は当時の事を詫びる様になってきた。親族間の争いで心労が溜まり、私に強く当たってしまった、と言っている。許せるかどうかは別として、きちんと話を聞くつもりだ。  さて、件のあの公園だが、実はもう存在していない。私が最後に訪れた日の4日後に、破損した遊具で怪我人が出て、直ぐに閉鎖されてしまった。夜間に煙草を吸いに来た、中学生の女の子らしい。その翌年には、公園の敷地は平らに均され、よく判らないモニュメントが建っていた。  あの少年にも、二度と会うことは無かった。同じ町に住んでいたのに、遂に見つけることが出来なかった。  これで、私の昔話はお終い。  ところで、市町村ごとに夕方の鐘は時刻も音色も異なる…というのは本当かい?だとしたら、本当に偶然なのだろうね。この街の17時の鐘は、私があの頃聴いていたものと全く同じものなんだ。  いや、もしかしたら、私の耳にだけ、同じように聴こえているのかもしれない。そう思える程、鐘の音は変わらず、私の心を優しく、強く抱いてくれるように感じるのだ。    苦しいことが、嫌なものが、少しでも後回しになりますように。そんな些細な慰めが、どれだけ愛おしく、どれだけ私を勇気付けたか。見つけてくれることの嬉しさ、想われることの心強さが、孤独の底から私を救った。  あの日を境に、私は変わった。生きて、生きようと思えたのだ。  ああ、今日も鐘が鳴る。  聴こえるかい?僅かにずれて、遅れて重なる響きの中に、確かに私の神様が居る。
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