真夜中の人魚ひめ

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 この島はいつも夕方になるとぱたりと風が止まる。  そして、じめじめとした湿気とともに塩辛い匂いが空気に充満して、鼻の奥を刺激する。  瀬戸の夕凪。俺が幼い頃から、夏のこの風景はまったく変わりがない。  生まれてから中学を卒業するまで育った島に、俺は久しぶりに戻ってきた。  でも今度はただの帰省ではなく、夢破れて帰ってきたのだ。そんな負け犬の俺に、今夜は小、中学時代からの友人たちが出戻り祝いだと宴席を設けてくれた。今は、島に唯一存在するラウンジで、飲んで騒いでの帰り道だ。  集まってくれた友人たちは、俺の記憶に残っているよりも確実に年を取っていた。  稼業の漁師を継いだ野球部のエース。  同級生同士で結婚して、すっかり肝っ玉母ちゃんになってしまった初恋の彼女。  俺と同じように島を出たのに、わざわざ自然を求めてUターンしたクラス一の秀才。  今夜、ボトルをキープした古いラウンジの年増のママに代わって俺に酒を注いでくれたのは、あの頃、学年で一番人気のあった女の子だ。  俺と同じように島を出て帰ってこない者、帰ってきた者。あの頃とは人数は減ってはいるが、それでもみんな、温かく俺を迎え入れてくれた。  俺の実家は代々、島で牡蛎の養殖を生業としている。でも俺は気楽な末っ子の三男坊で、二人の兄貴がしっかりと跡を継いでいるから戻ってきてもすることがない。唯一、練習に明け暮れていた大学時代に取得した教員免許があるくらいだ。
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