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楽園
ぼくの名前は穂波理人。
先月、十さいになった。
ぼくのお父さんは生物学者だ。とくに海洋生物の研究では国内第一人者と言われていた。以前はすごく貴重な生物の映像をとったり、生態の研究をして論文を発表したり、とても活躍してたらしい。
ぼくが赤ちゃんのときに事故で亡くなってしまったお母さんと、若いころは世界中の海を旅してたんだって。
そのころのお父さんの夢は、いつか新種の生物を見つけることだった。
でも、今は違う。
ぼくは悪い子どもだ。
生まれつき体が弱くて、ふつうの子どもみたいに学校へ行くことができない。
それどころか、暑すぎたり寒すぎたりするといけないらしくて、住める地方がかぎられてる。
お父さんは、ぼくを育てるために最適の場所を探した。
すごく不便なへき地の離島が、条件があってたらしい。
それで、今、ぼくとお父さんは離島で二人暮らしだ。
一番近い家でも五キロは離れて……っていうか、そもそも、ほかに住民がいるのかどうかもよくわからない。
ぼくは家のまわりのほんのせまいところしか、出歩くことをゆるされてないからだ。
お父さんは勤めていた大学を辞めて、貯金を使ったり、ネットでちょっとした文章を書いたりして小金をかせいでいるようだ。
畑で野菜も作ってる。
春の玉ねぎやキャベツから始まり、キュウリやトマト、ピーマン、ナスビ。秋はジャガイモがとれる。冬には大根や白菜。
畑はぼくも手伝う。
毎日、お水をあげたり、雑草をぬいたり、せんていとかもする。
ぼくもお父さんも、どろんこになって、せっせとお世話する。
「りと。疲れたら、家のなかで休むんだぞ」
「大丈夫だよ。このくらい」
「そうか?」
「見て、お父さん。トマトに花が咲いた!」
すくすく大きくなっていく野菜を見るのは楽しい。
もちろん、野菜だけでは暮らしていけないから、お父さんはたまに船に乗って買い物へ行く。
お父さんがいないあいだは、一人で留守番。とても、さみしい。
「いいか。りと。おまえは体が弱いからな。お父さんがいないあいだ、絶対に一人で外へ出るんじゃないぞ? おまえの病気は、とても珍しいんだ。そこらのお医者さんでは治せないんだからな」
今日も、お父さんはそう言って町へ行った。
買い物は週に一回くらい。町へ行くと、お父さんは夜まで帰らない。
ぼくは悪いと思ったけど、外へ出た。
いつも、お父さんにナイショで、ちょっとだけ外へ出てみる。どこまで行ったら、となりのおうちがあるのかな?
島の外のことは、お父さんから教えてもらったことしか知らない。でも、島のなかは自分で探検できるんだ。
こうして歩いていても、どっかが痛くなったり苦しくなったりもしないし、ほんとに病気なのかなって思う。自分ではけっこう元気な気がする。
今までで一番、遠くまで行ったのは、家の裏の丘をのぼったさきにある崖だ。とても高くて、目がまわりそうになる。体をふせて、のぞくと、ずっと下のほうに、波がちゃぷん、ちゃぷんとよせている。
今日はそのさきに行ってみたいな。
ぼくは今まで、お父さん以外の人を見たことがない。写真では、ぼくを抱くお母さんも見たことあるけど。
だから、ずっと、友達っていうのがほしかったんだ。
ぼくと同じくらいの年の子どもが、近所にいたらいいのにな。
そう考えながら、崖のところまで行った。
青い空のもと、水平線がきれいに見える。
その場所まで来て、ぼくはビックリした。
そこに女の子がいたからだ。
ぼくより少し年下くらいかな?
長い髪で、白いワンピースを着ている。
ぼくは嬉しくて、友達になりたくて、急いで走っていった。
すると、女の子がぼくのほうを見た。
急に走りよったから、おどろかせてしまったみたいだ。
女の子は「きゃっ」と声をあげて、逃げだしてしまった。
ざんねん。お友達になりたかったのにな。
そのあと何度か、お父さんが町へ行くたびに、崖まで行ってみたけど、あの女の子には一度も会えなかった。
それから、しばらくして、ぼくはぐあいが悪くなってしまった。どこか痛いわけじゃないけど、とても体がダルい。
そんなことが、ずっと続いた。
よくなる感じはしなかった。
どんどん力がなくなっていくのが、自分でもわかった。
起きあがることができなくて、ベッドに寝たきりでいることが増えた。
お父さんの言いつけを守らなかったからだろうか?
ぼくは、悪い子だ。
ごめんね。お父さん。
「お父さん。ぼく、もうダメみたいな気がする。ごめんね。ぼくのために、こんな人のいない島にまで引っ越したのに。お父さん、一人になっちゃうね」
「いいんだ。りと。お父さんは、おまえといられて、この十年間、ずっと幸せだったよ」
「でも、お父さんは、ぼくのために夢だったお仕事まで辞めたのに」
「おまえがいてくれることのほうが、お父さんには大切なんだ」
お父さんは泣きそうだ。でも、ぼくに涙を見せないようにガマンしてる。
「ほんとに? 研究を続けていたほうが幸せだったんじゃない? だって、もしも、新種を発見してたら、ノーベル賞だってもらえてたかもしれないよ?」
「そんなものはいいんだ。お父さんは研究では得られない、もっと貴いものをもらった」
「それならいいけど……ぼくが死んだら、またお仕事の続きをしてね。地球上には、まだまだ人類が見つけていない新種の生き物がいるんでしょ? せめて、お父さんの夢が叶うといいね。お父さん、必ず、新種の生き物を見つけてね」
お父さんは悲しそうに笑う。
「りとはお父さんといて、幸せじゃなかったのかい?」
「ぼくは幸せだったよ! お父さんの息子で、ほんとによかった!」
毎日が楽しくてしかたなかった。
素敵な発見がいっぱいあった。
お父さんが町へ行く日はさみしかったけど。
でも、そんな日は、いつも夜になると、お父さんと手をつないで散歩をした。島のなかをあちこち歩きまわった。鳥や虫の鳴き声や、しおさいを聞きながら。
お父さんはあの崖の上から、海にうかぶ月を見るのが好きだった。
満月の日には怖いくらい、きれい。
海面いっぱいに星くずがまたたいてるみたいに、さざなみが月光を青白く反射していた。
昼間の風景とは別世界のよう。
海を見ながら、お父さんが話してくれた。
ぼくは、ふと、そのときの話を思いだした。
「そういえば、お父さん。ぼくがまだ小さかったころに、この島の伝説を話してくれたよね? ずっと昔、海に落ちて死んだ子どもを、海神さまが生き返らせてくれたって。ぼくも海神さまにお祈りしたら、また帰ってこれるかな……?」
お父さんは涙が抑えられなくなったみたいだ。何も言わず、すすり泣いていた。
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