第8章.硝子越しの想い

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女はアリサだ。 祥悟が謹慎になる原因を作った人。もしかしたら祥悟の子どもをお腹に宿し、祥悟と結婚するかもしれない人。 2人の唇がまるでスローモーションのように静かに重なっていく。 智也は耐えられずにぎゅっと目を瞑り、顔を背けた。 心臓に鋭い刃を突き立てられたような痛みが走り抜けた。不意に足から力が抜けそうになって、智也は必死に踏ん張り、じりじりと後ずさりした。 ……ダメだ……。ここに、いちゃ、いけない。 ふらつく足でリビングのドアから離れ、向かいの壁に背中をあてて寄りかかる。 自分が来たことに、2人は気づいていない。 ……早く、ここから、消えないと。 ようやくマンションの自分の部屋にたどり着くと、智也は持っていた荷物を放り出し、ベッドにそのままダイブした。 今日は峰さんが用事であの家には行けなかったから、祥悟が気に入りそうな洋食店のテイクアウトを夕飯に買って帰ったのだ。 もう夜の9時をまわっている。 祥悟はきっとお腹を空かせて、自分の帰りを待っているはずだ。 ……いや。祥は待ってなんかいない。今頃、彼はアリサと……。 智也は枕に顔を強く押し当てた。 堪えきれない嗚咽を、枕の中に封じ込める。 何度こんな思いをしたらいいのだろう。 どうして自分は、凝りもせずに、祥悟に淡い期待を抱いてしまうのか。 彼から距離を置くと決めたのに。 吹っ切らなければいけないと、自分に言い聞かせたのに。 どうしてこの想いを断ち切ることが出来ないのだろう。 彼を祖父の屋敷に匿って、世間から遠ざけて、自分独りのものにしているような錯覚に、暗い歓びを感じていた。 そんなことはありえないのだ。 怪我が治って謹慎が解けたら、彼はまた外の世界に出て行ってしまうのだから。 あの蜜月は、自分だけが作り上げた幻に過ぎない。 「もう無理だ。限界だよ、祥……」
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