第10話 それぞれの想い

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また、いつものように学校が始まった。 今は放課後。私は今日日直だったため、日誌を届けに職員室へ行った帰りだった。 教室や外からは放課後らしい賑やかな声が聞こえている。 特に用事も無いためこのまま帰ろうかと思っていると、聞き覚えのある声に呼ばれるのが聞こえた。 「かなちゃ~ん!」 声のした方に顔を向けると、予想していた人物の紫央君が笑顔で手を振って近付いてきた。 「かなちゃん、今暇?」 「え?う、うん…」 「じゃあさ、ちょっと付き合って」 紫央君の可愛らしい満面の笑みについ頷いてしまった私は、紫央君に引っ張られるような形で後を付いて行った。 向かった先はいつもの中庭。 「お隣どうぞ」 紫央君はベンチへ腰を下ろすと、自分の隣りを軽く叩きながら促した。 私は紫央君が促した場所へ座ると、紫央君は少しだけ申し訳なさそうな笑顔を向けた。 「ごめんね、急に。でも、かなちゃんと話したかったんだよね」 その言葉に、私は一瞬だけ自分の鼓動が跳ねたのを感じた。 紫央君が話したいという事は、きっと1つしか無いだろう。 「…りっ君から、聞いたよ…。記憶が戻ったこと…」 凌玖君は記憶が戻ったことをみんなに話した。お父さんや室井さん、もちろん紫央君と椎名君にも。 お父さんと室井さんに話をした時は、私も一緒に傍にいた。 凌玖君の話を聞いたお父さんは、「すまなかった」と言って泣いていた。 室井さんも、涙を流しながら何度も凌玖君に謝っていた。 そんな2人に、凌玖君は少し困ったように笑みを浮かべながら「もう大丈夫だから」と言っていた。 紫央君と椎名君には今日の朝に話をすると凌玖君から聞いていたので、すぐにその件だろうと理解できた。 「…そっか」 「…りっ君ね、今まで悪かったって言ったんだ。でも、その言葉を聞いた瞬間、胸がギュって締め付けられた」 紫央君は泣きそうになるのを堪えるかのように、唇を強く噛み締めた。 「りっ君のお母さんが亡くなった事とか、記憶喪失になった事とか、そういうのは全部室井さんから話をされたんだ。いつも仲良くしている俺達には知っておいてもらった方が良いからって。その話を聞いて、これからは俺達がりっ君を守らないといけないんだって思った。でも、りっ君は段々変わっていった。俺達とも距離を取るようになった。そんなりっ君を見ていると悲しくて、辛くて…でも、何もできなくて…そんな自分にムカついた。だから、本当に謝らないといけないのは俺なのに…。助けてあげられなくてごめんって言わないといけないのに…何も、言えなかった…」 「…そんなことないよ。紫央君には紫央君にしか出来ないことをしてきた。それはきっと、凌玖君だって分かっていると思う」 私がそう言うと、紫央君は小さく笑った。 「俺、かなちゃんだったらりっ君を助けてあげる事が出来ると思ってた。昔のりっ君に戻してくれるって思った。だから…ありがとう」 「私は別に何もしてないよ」 私が答えると、紫央君は小さく頭を振った。 「ううん。かなちゃんが傍にいてくれたから、りっ君は記憶が戻っても壊れなかったんだよ。俺はそう思ってる。…本当に、ありがとう」 紫央君はそう言うと、優しい笑顔を向けた。 「奏…?」 その時、急に自分の名前が呼ばれた事に驚き、そちらの方へ視線を向けた。そこには、少し戸惑ったような表情を浮かべている椎名君がいた。 「あ、恭ちゃん!生徒会のお仕事お疲れ~」 「あ、ああ…」 バツが悪そうに視線を逸らす椎名君の姿を見た紫央君は、何かを察したのか急に立ち上がった。 「俺、喉渇いちゃった!飲み物買ってくる~」 「は?おい、紫央…」 「恭ちゃんは、ここでかなちゃんと一緒に待っててね~」 そう言うと、紫央君はその場から去って行った。 残された椎名君は困ったように頭を掻きつつ、ゆっくりと近付いて来た。 「…隣り、良いか?」 遠慮がちに聞いてきた椎名君に小さく「うん」と返事をすると、椎名君は私の隣りに腰を下ろした。 つい先日、椎名君に怒鳴られたこともあったせいか、少し気まずく感じてしまい、何を話せば良いか正直戸惑った。 「…今まで、悪かったな」 そんな中、ぽつりと呟くように急に謝ってきた椎名君に驚き、私は視線を向けた。 椎名君は視線を逸らしたまま、続けた。 「俺、西園寺が苦しんでることは分かっていたんだ。だけど、俺にはどうすることもできなくて…。西園寺が全てを知って崩れそうになった時、俺は支えてやる自信が無かった。だから…真実を隠す事があいつのためになるんだって言い聞かせて、自分を正当化していた。そんな時にお前に間違っているって言われて…分かっているけれど何もできない自分に腹が立って…結果、お前にもキツく当たった…。ホント、情けないよな…」 椎名君は力なく笑った。それはまるで、自分を嘲笑うかのように。 「…誰かを守るって、難しいね」 私の言葉に、椎名君はゆっくりとこちらに視線を向けた。 「前までの私は凌玖君の事だけを見て偉そうに言っていたけれど、椎名君も紫央君も凌玖君のためを想って行動していた。目的は同じなのにそれぞれの考えが違っているから、誰かと衝突したり、悩んだりする。そう考えると、誰が正しいとか、誰が間違っているとか…そんなことは無いんじゃないかな。みんな凌玖君が大事で、守ろうとしての行動だったんだから」 「だけど結局…俺はアイツを苦しめていただけだった…。守るとか言いながら、守れていなかった…」 「……凌玖君、言ってたよ。椎名君と紫央君は大切な幼馴染だから、自分の口から今までのことを話したいんだって。俺のことで2人にも辛い想いをさせてきたから、ちゃんと謝りたいって。それで…」 “…それで、少しずつでもあいつらと、また笑って過ごせるようになりたい” 椎名君達と話をする前に凌玖君が言っていた言葉。 凌玖君は過去を乗り越えて、前を向こうとしている。 だから、椎名君にもそれを分かってもらいたい。 椎名君も一緒に、前を向いて歩いてほしい。 一瞬、椎名君は驚いたように目を見開くと、フッと小さく笑った。 「…なんか、こんな情けないところ見せて…恥ずかしいな、俺…」 そう言って笑った椎名君は、どこかスッキリとした表情を浮かべていた。 「西園寺を助けてくれて、ありがとうな…奏」 椎名君は優しく微笑みながら私の頭にそっと手を乗せると、ぎこちない手付きで頭を撫でてくれた。 「あー!恭ちゃんが抜け駆けしてるー!」 その時、紫央君が大声を上げてこちらに走ってきた。 「恭ちゃんズルい~!誰もいないからってかなちゃんの事口説いちゃダメだよぉ~!」 「は!?そんなんじゃねぇよっ!いきなり何言い出すんだ!?」 顔を赤くしながら怒鳴る椎名君を、ニコニコと笑顔でからかう紫央君。 ここに凌玖君も含めて3人で仲良く話をしている日が見られるのは、きっとそう遠くないと思いつつ、私は2人のやり取りを笑って見つめていた。 その日の夜、私は自分の部屋で机に向かっていた 机の上で開かれているのは「愛の挨拶」の楽譜。その楽譜を見ていると、今までにあったことが思い返される。 偶然来た西園寺家だったけれど、そこで出会ったのが凌玖君で、その凌玖君が実は恵美先生の息子で…。 普通に考えると有り得ないことだけれど…それはまるで恵美先生が導いてくれたように思えた。 「入るぞ」 私の考えを遮るかのように、急にドアを開けて凌玖君が入ってきた。 「き、急に入らないでよ…」 私は驚きつつも抗議の言葉を述べたが、「面倒」と一言で遮断されてしまい、凌玖君には効果が無かった。 「それより、風呂空いたから入れってさ」 「あ、うん。ありがとう」 「…何見てんだ?」 凌玖君は机の上にある楽譜を覗き込んだ。 「『愛の挨拶』の楽譜だよ。いろいろあったな~って思いながら、見てた」 「ああ…そうだな」 フッと笑い、目を細めながら、凌玖君は楽譜を見つめた。 「奏、今度またこれ弾いて聴かせろよ」 「え…?」 私は驚いて目を見開いた。 「…何だよ?」 「だって…凌玖君、あまり思い出したくない記憶かなって思って…」 自分のせいで恵美先生は亡くなったと思っていた凌玖君だから、あまりこの曲も聴きたくないのかと思っていた。 「バーカ。俺のせいじゃないって泣いて言ってたのはどこの誰だよ」 そう言いながら、凌玖君は私の頬を軽く引っ張った。 「い、痛いよ…!」 すぐに手は離されたが、凌玖君を軽く睨もうと視線を向けると、そこにはどこか切ない表情を浮かべた凌玖君がいた。 「…罪悪感とかは、確かにあるけど…このままじゃダメだって思ってる。それに…この曲は母さんの好きな曲で、母さんが最後に聞かせてくれた曲だ。だから、俺も大切にしたい」 「…うん、分かった!また今度弾くね、凌玖君!」 凌玖君の中には未だ消えない闇があるのかもしれない。けれど、その闇に飲み込まれまいと今は頑張っている。 そんな凌玖君を、私は応援したいと思った。 「…ハァ。お前さぁ、いつまでそうやって呼ぶんだ?」 「え?」 「名前だよ、名前。俺は奏って呼んでるのに、お前はいつまでそう呼ぶつもりだ?」 きょとんとしている私に、凌玖君は覗き込むようにして言ってきた。 「え…えっと…」 「だからぁ、“君”なんか付けんなって言ってんだよ!そんなふうに呼ばれると歯痒い」 凌玖君は顔を背けながら頭を掻いた。 「え…?ええ!?」 急に大声を上げた私に、凌玖君は今度は驚いたような表情で見た。 「な、何だよ?」 「そ、それは……呼び捨てで呼べってこと…?」 「そういうことだ」 私はつい視線を下に向けてしまった。 今まで男の人を呼び捨てで呼んだことなんて一度もない。それに、今まで「凌玖君」と呼んでいたので急に呼び捨てにするなんて何だか恥ずかしい。 「ほら、呼んでみろ」 そんな私の考えを知ってか知らずか、凌玖君は私を急かす。 抵抗しても無駄だということを悟り、私はゆっくりと口を開いた。 「り………凌、玖…」 搾り出したような小さな声で、私は彼の名前を呼んだ。 人の名前を呼ぶ事に、こんなにドキドキした事は初めてかもしれない。 「そうだ。出来るじゃねぇか」 その声に顔を上げると、凌玖君は優しい笑みを浮かべて私を見つめていた。 その笑顔がとても綺麗で、私は一瞬見惚れてしまった。 「これからはちゃんとそう呼べよ、奏」 私の頭を軽く撫でると、凌玖君は部屋を出て行った。 私は今撫でられた部分に触れた。心臓は未だ早く脈を打っている。 そして、最後に見せてくれた彼の優しい笑顔が頭から離れなかった。
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