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百八十九話 魅惑の航海
気掛かりも一つ解消され、航海自体は気分良く順調だ。
だがこの旅はいくつかの大きな問題を孕んでいた。
この数日で船酔いは大分慣れたが、今日も俺は頭の痛い朝を迎える事となる。
「うん。両手両足共に動かせない。毎日毎日本当にもう……」
俺はベッドの上から天井を見つめ嘆息した。
体が全く動かないのだ。完全なる金縛り状態である。
左右には確かな気配と柔らかなぬくもり。
左隣には大人びた色気を帯びた細やかな長い黒髪の美人。
右隣には幼い寝顔が可愛い煌めく金髪の美少女が寝ている。
「キミ達ね? 人の寝床に入るなって何度も言ってるでしょう?」
「むぅ~、なんじゃもう少し寝かせい……。世継ぎはミコトに任せたろうに……」
「う~ん、まってよぉ……。ルーアちゃんも海賊ごっこしよう……」
気だるげなタマモは寝言を呟き、ハミルも何やら愉快な夢を見ている模様。
落ち着いているはずの俺の鼓動は不自然に脈動する。
なんとか体を起こそうとするがもちろん無駄。
両隣から腕を抑えられ、足をからめられて身動き一つ取れないのだ。
心地好い締め付けと、理性をボコボコにする弾力感。
一見すれば天国。幸福そのもの。
しかし俺の中の紳士が早く離脱しろと警鐘を鳴らすのだ。
「やれやれ……。落城……降魔!」
俺は静かに呟き、精神を抑え込んで最大限の膂力を解き放つ。
左右の締め付けがほんの一瞬緩んだ隙に腕を抜き、頭の方から腕の力でベッドから抜け出した。
そして華麗に一回転し、着地でよろけるもなんとか脱出成功。
「やっぱり身体中が痺れてる……。おのれ馬鹿力共め……。おまえらいい加減に……」
こう何日もからかわれては俺の我慢も限界だ。
だが気持ち良さそうに眠る怪力娘共に向き直り思わず息を飲む。
ハミルの可愛らしい肉球柄のパジャマから覗く山脈地帯。
邪魔な毛布のせいか、タマモの高山なんて肌しか見えない。
こいつは下手すりゃ服着てない。
「ら、落城……降魔。……うん、外の空気でも吸いに行こうかな……」
目を逸らして理性を殺し、俺は痺れて震える手足を引きずり甲板へと向かう。
雄大な海と、青い大空に目覚めの挨拶をするのだ。
それが俺の心を浄化してくれると信じて。
「おはよう空と海! 俺の貧しくも卑しい心を癒してくれたま……」
甲板への扉を力いっぱい開き、俺は新鮮な空気を取り入れる。
同時に視界に入れるのは光輝く一面の青……ではなく。
太陽に照らされ仁王立ちする褐色肌の女性の尻だった。
「ですから! 全裸での行動は控えてくださいって言ってますよね!」
「肌の感覚が煩わしいのだ。別に良いではないか。何故貴様らはそんなにも人目を気にするのだ? そもそも多様性を尊重せぬ時代に躍進は訪れぬのだぞ」
ふよふよと浮かぶユガケに怒られるプルートさん。
惜しげもなく晒される肌。大胆にして豪胆な佇まいと豪気な言い分。
手で顔を覆い天を仰ぐ俺。鼓動が高まり迸る血潮。
これがここの日常だ。神よ、おまえは俺をどうしたいんだ?
「落城降魔。落城降魔。落城降魔。落城降魔……」
呪文のように呟き、心を殺し続けながら甲板後方に向かう。
戦闘用の禁術が日常で使える便利な小技と化している。
けして俺がモテている訳ではない。
タマモは大人しい添い寝役が欲しいだけのようだ。
そのせいでハミルが『じゃあ僕も!』と乱入したのが経緯になる。
プルートさんは文化が違うようだし、フロルやユガケも何故か止めてくれない。
みんな俺が健全な紳士である前提の振る舞いをしているのだ。
天国と言う名の地獄。まさに天地の狭間である煉獄にいる思い。
このままでは俺の理性と情緒が死んでしまう。
蠱惑的な行動取る奴は縛り上げて反省をと考えたが断念。
俺は素手じゃ多分ハミルはおろかタマモにも勝てねぇのだ。
「あら? 何やってんのフレムくん?」
揺蕩う思考に翻弄される俺に語り掛ける声。
次に目に映ったのは腕捲りをし、長いスカートを上部で括ってしゃがみこむフロル。
当然太ももは露わだが、色気など微塵も感じさせない晴れ晴れしさがあった。
フロルは本日の洗い物担当。
タライに浸けた衣服を洗っている最中のようだ。
いくつかあるタライの中には、満足そうなキャロルとアガレスも浸かっている。
「落ち着くわ~。本当落ち着くわ。フロル最高」
「よく分かんないけど、頭蓋骨に穴開けてやろうかしら?」
俺の中からスーッと引いていく熱。
まるで火事現場から川に飛び込んだような解放感。
表情筋が和らぐ俺にフロルはしかめっ面だが、それすらも心地好い安心感がある。
俺がここで正気を保てているのはフロルのお陰とも言えよう。
気分転換に洗い物を手伝うことに決め、俺は海に向けて絞った衣服を干していく。
そうして気持ちが落ち着いた所で次は朝御飯だ。
フロル達と甲板前方へ向かうと皆勢揃い。
全裸恥女含め皆きちんと着替えており、テーブルの上には料理が並んでいた。
もちろんアガレスには専用の鉢植えがある。
今日のメニューはバターを塗ったトーストと、ベーコンの入った目玉焼き。
香ばしい香りが食欲をそそるではないか。
驚きだがここの料理は一貫してプルートさんが担当している。
「う~ん。この目玉焼きは絶品ね! イリスの家で摘み食いしたどんな料理より美味しいわ!」
「塩加減に安定した家庭的な味。本当にうまいよプルートさん! ウチにも料理マニア居るけど遜色ないくらいうまい!」
海に囲まれて取る食事はなんと贅沢か。まるで世界を取った錯覚さえ起きる。
頬を押さえて幸せそうなフロルと共に、俺もこの料理の旨さを噛み締めた。
目玉焼きもうまいが、カリカリとしたベーコンの焼き加減も絶品。
全員が全員夢中になる美味しさなのだ。
しかし本当にザガンが作る物と同格。
不思議なくらい舌に馴染む。
「好きなように言うが良い、興味はない。気を抜いたら作ってしまうものだからな。忌々しいが食材を無駄にするのは本意ではない」
細く魅惑的な瞳を伏せ、苦々しい表情を作るプルートさん。
どうも考え事があると調理場に向かい料理を始める癖があるらしい。
下拵えまでして料理を作って皿に盛り、そこで調理器具を床に落として我に返る。
なんとも素晴らしい癖だと思うが、当人にとっては由々しき問題のようだ。
腹拵えが済み、ハミルが船の手すりでキャロルの背中を撫で食後のゲップを促している。
けっぷ、けっぷと出る度に飛び出る火球。
海面にいくつも火柱が立ってさながら地獄絵図。
俺は釣りを楽しもうかと竹竿を用意した。
「しまった。疑似餌を作ってないな」
「これなんてどうじゃ?」
「死にたいようですねタマモ」
うっかり釣り餌を切らして困ってた俺に、笑顔のタマモがユガケの頭を掴み差し出して来る。
怒り口調でプラプラしてるユガケは確かに美味しそうだ。
最適かもしれない。もうこれで良いか。
「でもおにーさん。お魚の様子おかしいよ?」
「ぎゅ~?」
手すりに捕まり海面を覗くハミルとキャロルが不思議そうな声を上げる。
それを聞いたタマモは不自然に顔を逸らし後退り、そのまま船内に引っ込んでしまった。
「まったくおかしな女ですね。仕方ありません。この私が周囲の安全を確認してきてあげます。なので離しなさい」
釣糸を巻き付けたユガケが偉そうに解放を要求する。
非常に残念だが今回は応じるしかなさそうだ。
生き餌は釣糸をほどいた瞬間弾けるように離脱。
結構本気で慌てていたらしい。
「ま~たいつものか。釣りは中止だな。昼寝でもするかね」
航海中よくある事象。魚が逃げるように散っていくのだ。
この状況になると様子を見るしかない。
俺とハミルは甲板の上で寝そべり、のんびりとした時間を過ごすことにした。
乗員も少なく、やることは特にないのだ。
程なくしてフロルも現れ、ゴロンと俺の横に寝転がる。
「しかし凄いわよねぇ……。この船って帆を畳んだまま進んでるんだもの。どうやって推進力を得てるのかしら? これもプルートさんの魔術ってやつなのかしらね? それともこの海域に数百年に一度現れるって言う海神様の加護? 普通は有り得ないけど、もう私大概の事じゃ驚かないわよ?」
不可思議どんと来いと言わんばかりにフロルが疑問を口にした。
そうなのだ。この船は風もないのにしっかりと進み、時々異常な速度が出たりする。
「でもそのせいかお魚があんまり寄り付かないんだよね。せっかくおにーさんがカッコ良い釣竿作ったのに……」
「端材で適当に作っちゃうだから、本当にそういうとこ昔っから器用よね~。最初の方は上手くいってたんだし、もう一度試してみたら?」
「はは、まあ質の良い竹材が倉庫に転がってたからなぁ……。その内また挑戦してみるよ……。魚が居ない時ってこの船急に速度上がるから……。おっと……」
残念がるハミルとフロルの言葉をそれとなくかわした瞬間。
言った側から船は異常な速度で航行を開始する。
俺は直ぐ様起き上がり、鉢植えに刺さったアガレスに手をかけた。
アガレスを通して魔力探知を行うためだ。
「寝てるところ悪いなアガレス。ちょっと手伝ってもらうぞ。どれどれ……」
一言断りを入れ、アガレスを鉢植えから一直線に引き抜いた。
船底に向け感知領域を広げた後、剣をそっと鉢植えに戻す。
自身から引く血の気。上体を起こすハミルの側で俺は膝を付き、震える声でか細く訴えた。
「やっぱマトイクラスの化物居るんだけど……。またこの船デッカイ化物の上に乗ってるんだけど……」
「よしよし大丈夫だよおにーさん。きっと大きなお魚さんが遊んでるんだよ」
泣きそうな俺の頭を撫で慰めてくれるハミル。
タマモの様子から見て、多分あの小娘は知った上で放置している。
なので安全なのだろうがここは海の上。
牙を剥かれれば勝ち目のない化物が真下に居るのは恐怖しかない。
マトイでも居ないと我々は生き残れないだろう。
フロルによるとグレイビア王国までは陸路で行くと一ヶ月は掛かるらしい。
それを十日程度だ。不思議ではあったがこの船速なら合点がいく。
「もうやだ……。海賊怖い。この船降りたい帰りたい。助けてマトイ~!」
「……マトイさんと言えばさ、もう一度聞かせてくれないかしら? ザガンさん、シトリーさん、アガレスさんが魔神よね? それでラグナートさんとリノレちゃんが天使。マトイさんがドラゴン。それでキャロルちゃんが人造魔神……」
情緒不安定な成人男性の泣き言を綺麗にかわし、フロルが再三説明した情報を確認してくる。
それどころではないというに、こんなにも細かいこと気にする奴だっただろうか?
「もう一度だけ聞くわ。それで……、チノレちゃんはなんだって?」
「ただの猫だぞ?」
「一番納得いかないわ……」
険しくも重い表情で再確認してくるフロル。
俺は事実を再度伝えるも、フロルは真顔で信じてくれない。
何故だ? チノレと俺に関しては隠す事何もないだろうに。
「あんなデッカイ猫居るわけないじゃない……。まさかザガンさんの料理に成長促進剤が……。だとすると……。ふふ……ふふふ……」
「フロルおねーさんどうしたの? なんだかルーアちゃんみたい」
「気にしないでくれ。あのおねーさんはいつもどこかおかしいんだ。……どうやらデッカイお魚さんは居なくなったみたいだな」
大の字で寝そべり笑うフロルを心配するハミル。
適当にあしらうよう指示する俺は船速が落ちた事に気付く。
「色々ドキドキしたり新鮮で楽しいんだけどな。こんな怖い思いもするなら船なんて使わなければ良かったかもしれない……」
「陸続きではあるらしいけど、エリュシオン大陸の遥か南方って聞いたよ? 山脈を越えた先にある砂漠も越えなきゃならないみたい。法王様もしんどいって言ってたし、僕辿り着ける自信ないかも……」
さめざめとする俺にハミルは現実的ではないと言う。
言葉にすると軽そうだが、法王がしんどいなら一般人は完全に不可能だろう。
何よりこの子も徒歩で向かう想定なのが恐ろしい。
そんな中、上の方の見晴らし台から望遠鏡を持ったユガケが飛んで来た。
「ハミュウェル様~。前方に船が見えます~」
「こりゃユガケ! 船長であるわらわへの報告が先じゃろう!」
嬉しそうなユガケの声が響いたと同時。
怒ったような口振りのタマモが扉を勢い良く開いて出てきた。
なんて威厳のない船長であろうか。
「そういやここまで一隻も別の船見てないな。俺だったらこんな船に近付きたくないけど」
「フレム達の追ってる船みたいですよ? フォルテ王子がこっちに手を振ってましたし」
疑問が脳裏を過ったが、俺なら視認した段階で離れるなと結論付けた。
定期的に火の海を作るような船になど近付きたくはない。
むしろ問題は近場に船が平然と居ることだろうが、ユガケの報告で俺の中の使命感が思い出したように再燃した。
「なにぃ!? よーし! 追い付いたならしめたものだ。その船の横に付ける! 乗り込むぞ皆のもの! 王子を縛り上げ奪い尽くすのだ! 海賊の矜持を思い出せぇ!」
「「おお~!」」
高らかに拳を上げ咆哮する俺。
タマモとハミル、フロルの三名も軽いノリで声を合わせる。
まだまだ続くと恐怖していた楽しい魅惑の航海も終点だ。
覚悟は良いなフォルテ! ここまでに溜まった恐怖と鬱憤。
おまえで晴らしてやるからな!
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