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百九十四話 砂漠の工房
エリュシオン大陸南部、オーリューン地方。
グレイビア王国国土の三分の二を占める砂漠地帯。
大昔は広大な緑を有する雄大な大地であった。
しかし八百年ほど前ここを根城にしていた魔神により、その豊かな緑は失われあっという間に荒れ果ててしまったらしい。
照り付ける灼熱の太陽と砂漠に反射した光が、あらゆる角度から俺達を執拗に焼いてくる。
「あっついなぁ……。もたもたしてると干からびちまう。しかし見渡す限り砂ばっかだぞ? 本当にフォルテ達はこんな所に寄ってるのか?」
「破壊竜の紅剣を扱うのが目的なら、貴様と同調する魔力を浄化する必要がある。向かった方角から目的地はこちらと同じ、渇望の遺跡と見て間違いあるまい」
銀色のドラゴンさんの背中から見える景色は黄一色。
俺の愚痴に答えたプルートさんによると、どうやら目的地が同じになった可能性が高いらしい。
「むぅ、あの小さいのが遺跡か?」
「フォルテくんも居るよ!」
目を凝らしたタマモが反応を示し、そこにあるのは三角形で石造りの建造物。
遺跡と言うにはこぢんまりとした、ちょっとした砂嵐で見えなくなる程度の大きさだ。
そしてハミルが指差す遺跡の上空にはフォルテが、勇ましくも黒い翼を広げて待ち構えていた。
「ぬっ! なんだこれは……。大気の……壁か!?」
銀竜さんが怪訝な声を上げたと同時に飛行速度がガクンと落ち、すぐに空中で静止する。
まるで湯船に飛び込んだような生暖かさと息苦しさ。
この感じはフォルテが使っていた見えざる手と同じもの。
ただしその力は先程と比べ段違いに強く、フォルテは腕を組んだまま指先一つ動かしていない。
「目的地は眼下だというのに……。ギリギリで足止めをくらうとはな」
「俺が逃がさぬよう相手をしておいてやる。貴様はさっさと用件を片付けてこい」
口惜しげに呟くプルートさんに銀竜さんが優しい提案を申し出る。
実はかなり面倒見が良いのかもしれない。
そして銀竜さんは静止した翼を羽ばたかせ、竜の波動が不可思議な大気を払い除けた。
「傷も癒えておらぬ上、貴様は枯れた土地が大の苦手であろう? 任せてよいのか?」
「いかに変質していようとたかが人間一匹だぞ? 加減をしくじって仕留めてしまわぬかの方が心配だ」
ぶっきらぼうに言葉を掛けるプルートさんに対し、遺跡の真上を陣取る銀竜さんは威風堂々と鼻で笑う。
フォルテを見ると口元をひくひくさせ凄く嫌そうだ。
「随分早いと思ったら、まーたすげぇもん連れてきたな……。うーん、やっぱ第二プランとやらも気分が悪いんだよなぁ。……なあフレム。俺を追ってきたとこ悪いんだけどさ。シリルの奴、先になんとかしてやってくれねぇか? そこの遺跡で儀式やるって言ってたからよ」
嘆息したフォルテは無気力な笑顔で俺に話し掛ける。
声色と表情はいつも通りのふざけた素振り。
なのにどこか漂う諦めにも似た覚悟。
「フォルテ……。やっぱり変だぞ? さっきだってわざわざ追ってくるよう仕向けたんだろ? それにあれだけの目に合っておいて、おまえ……なんで傷一つないんだ?」
「……以前俺をボコボコにした仮面の男、セリオスなんだってな……。なら、シリルがやろうとしてんのはセリオスがやるはずだった仕事だ。あんな化物ならいざ知らず、世界を統べるなんてあいつにゃ荷が重過ぎんだろ? シリルはまだ間に合う。イリスもそこに居るよ。重ねて悪いが俺の代わりに謝っておいてくれ」
高まる違和感が大きな不安へと変わり始めた。
執拗に俺を煽る理由、衣服は煤けボロボロなのに無傷なその身体。
加えてフォルテから感じる魔力は今なお増大し続けている。
ここでしっかり問い詰める必要があった。
だがフォルテは俺の質問に答えない。
意味深な頼みと悲しげな謝罪。
「いい加減にしろ! 俺に用があるなら最初からそう言えばいい! 謝罪も自分でしろ! イリスをダシに使わなくたって、俺はおまえを……」
憤りが口を突く。本当は俺に何をさせたいのか、フォルテはそれを明確にしないのだ。
それはおそらく俺の意に反する事なのだろう。
俺は竜の背から立ち身を乗り出した。
そこでフォルテの姿が急に上下反転し逆さになる。
なんの余興かと思ったが逆さになったのは俺達の方。
銀竜さんが器用にくるっと回転したのだ。
つまり背に乗る我々は落ちたと言う話。
「おい待てぇ!! まだ話してる最中なんだけどぉ~!?」
「このままでは遺跡に激突するぞ。地表に出ている部分は破壊して構わん。誰がやる?」
「ユガケが竜の背に張り付いたままじゃからの。わらわには無理じゃぞ?」
「僕に任せて~! 行くよヴャルブューケ!」
俺が憤慨してる最中にも落下は当然止まらない。
プルートさんの提案にタマモが悠長に答え、ハミルは杖の先端にひよこを宿して振りかぶった。
巨大なひよこ型ハンマーが遺跡上部をモリモリ破壊し、俺達はその巨大ひよこに着地する形で遺跡の中へと落ちていく。
それに伴い気温がどんどこ低下し、地表とは逆に寒ささえ感じ始めていた。
沈んでいくひよこも止まり、地上は遠く微かに差す光。
それほど深い地下迷宮。
とてもじゃないが、まともに攻略しなくて良かったと心底思う。
遺跡内部に足を付けた俺達。プルートさんが左手に炎を浮かべ、周囲を明るく照らす。
「……うわ! なんだここ!? 人骨だらけじゃないか! それに気温だけじゃない。この寒気はなんだ?」
「ふむ、放置されて大分経つはず。それにしては状態が良すぎる。風化の跡が見られん」
遺跡地下の通路に降りた俺が見たのはおびただしい数の人骨。頭蓋や肋骨がそのまま散乱している。
感じたのは肌に触れる冷たい外気と心を締め付ける寒気だ。
タマモは骨に触れながらその鮮度に驚いている様子。
それを見たプルートさんは、なんとおもむろに落ちている骨を踏み抜いた。
折れた骨からは透明なゼリーが溢れ、すぐに蒸発するように消えていく。
「八百年前、この場所で天使や魔法の研究が行われていたらしい。土くれに生命力を宿す力、精霊神器の持つ創生魔法を再現しようとしたのだろう。その失敗で大地の龍脈が荒れ、地上はあの有り様という訳だ」
淡々と語るプルートさんの横でハミルが己の肩に止まるひよこを見つめている。
ハミルが勢いで放ったぷるぷる不思議水は常軌を逸した魔法の類い。
その効果に恐れもあるだろうが、これはあくまで失敗による事故。
俺は不安を拭うようにハミルの頭をそっと撫でる。
「逸話通り、渇望の魔神が所持していたのが本物の至宝ならアレの正体はやはり……。くくく……これは面白い」
「癪に障るが確かにこっちが優先だ。このまま進めば良いのか? プルートさんの用事は知らないが、手早く済ませてシリルも止めるぞ!」
俺はぶつぶつ楽しそうに呟くプルートさんを急かした。
ここがどういった所だろうが関係ない。
まずはシリルからキャロルと剣、イリスも取り返す。
この場の考察などに気を取られる意味などない。
「マオという悪魔の話を聞きたいのではなかったか? そんなにもグレイビアの王子が心配か?」
「な、なんで俺があんなヤツの心配なんか。時間が惜しいだけだって!」
「あまり急くなよフレム。ユガケもそうじゃが、お主の魔剣も先の戦闘から沈黙しておるのじゃろ?」
辺りを探るように歩くプルートさんは振り向きもせず、真後ろに居る俺に質問する。
思いがけない言葉に少し動揺したがすぐに反論した。
急ぐ理由ならいくらでもあるのだ。
自分でも驚く程切迫している俺に、タマモは今の状況を見つめ返すよう嗜めてくる。
「確かにそれは……。魔力は感じるから大事はないと思うけど。いつものイビキすらないからな。多分クリムゾンシアーを呼び付けた辺りから……」
「ユガケも疲れきったように眠ってたけど、どうしちゃったんだろうね?」
アガレスが寝るのはいつもの事。
しかし完全沈黙はいままで一度もない。
小さく首を傾げるハミルも心配そうな表情を浮かべている。
「双方、単純に力を使い過ぎただけだ。その魔剣の本質は眠りの力ではない。全てを遅延、停止させる能力。今まで感じていたのは細胞の遅延に伴う眠気と寒気だろう。実際は物資に限らず、空間や時間にすら作用しているようだ。流石に停止した空間と別の空間を繋ぐとは思わなかったがな」
「そら恐ろしいのぅ。眠りどころか死の瘴気を撒き散らしておったのか。フレムは恐れ知らずじゃの」
アガレスの能力について説明するプルートさん。
こわやこわやと口軽くこちらを見るタマモだが、そんな安い話で終わらせてはならない。
眠いのではなく毎度本当に死にかけてたのか?
俺はなんて恐ろしい力を使っていたのか。
……そういえばそんな気はしてたな。
おかしいとは思ったがいつもうっかり忘れてしまう。
「ユガケは貴様の友人共の呪詛を払った時に無茶をしたせいだろう。あの場でそれだけの聖気を放てるのは神獣と化したユガケのみだったからな」
「ほへぇ。ユガケすっごく強くなったんだねぇ」
「ふふん! わらわのすぱるた指導のお陰じゃな! 短時間なら高位妖魔さえ抑え込める程じゃからの」
続いてプルートさんはユガケについて語り、ハミルは嬉しそうに感心を示しタマモも鼻が高そうに偉ぶった。
あの時アッシュ達を助けてくれたのはまさかのユガケ。
とんでもない大物と化していたのだ。
同時にそれは大きな戦力の一つを欠いたことにもなる。
「それにしてもこんな大層な遺跡、とっくに盗掘者に荒らされてそうだけど? 何も残ってないんじゃないのか?」
暗く静かな通路で歩を進める俺は疑問を投げる。
大昔の建造物、そう聞いただけでも宝の山が眠ってそうなものだ。
強欲な人間達が放っておくはずもない。
「渇望の魔神は狡猾で残忍。かつて黒陽の三魔と恐れられた上位魔神だ。研究のために何千何万もの人間をまるで伝染病のように殺していた。加えて砂漠化は奴の消滅後。人間共にとってここは呪いの象徴。巧妙に隠されていたであろうこの下層まで来る者などそうはいまい」
プルートさんから予想を越えるとんでもない魔神の住みかであると明かされる。
確かにここら一帯の原因であり、劣悪な環境で来るのも留まるのも困難。
伝染病とまで言われ、呪いの疑いまであるならそうそう近付きもしないか。
かくいう俺も若干怯え始めている。
「安心せい。その魔神と数万を越える魔物も今はない。たった一人の英雄が飲まず食わずで三ヶ月掛け、欠片も余さず滅ぼしたという話じゃ。しかも休むことなく魔神と通じていた国も滅ぼしたらしいの」
俺の不安を拾ってか、タマモがその恐ろしい魔神の末路を聞かせてくれた。
逸話過ぎて信じがたいが、お陰で俺はもうその変態英雄の方が怖くなっている。
「フォルテを蝕んでいるのはかつて我が国に最悪をもたらした呪具じゃ。その呪具を先生が欲しがっていての。一応フォルテを救う見解で一致しておる」
「フィルセリアの勇者がここに留まっている以上、それを分離させる手段は間違いなくここに残っている。だが封印されたクリムゾンシアーは魔力回路が閉ざされているからな。今頃難儀している頃合いだろう」
意外な事にタマモは友を救うため奔走していたようだ。
ただ遊び回っていただけではなかったのか。
確信を持ちながら薄く笑うプルートさん。
そういえばあの剣って俺が使う時以外は外付け魔力回路が必要なんだっけか。
しばらく探索を続け辿り着いた先は、古びた書物や割れたガラス管が散乱する場所。
研究所とおぼしき部屋だった。
「閃光を払う刃ドゥルガーの剣。魔神化の種ヴァンパイアシード……。天使の細胞や魔神の瘴気を抽出した武具や生物兵器、それなりの成果は出ているようだ……」
「本当に目当ての物があるのか? 人の気配もない。少なくともこの部屋には何もなさそうだぞ? 聞いた事ある物もあるし、実はもう全部流出してるんじゃ……ん? これはなんだ?」
朽ち掛けた書物を拾い上げたプルートさんが内容を読み上げる。
耳にしたことがある物も混ざっているが、それらしい品はこの部屋にない。
そこで俺はテーブルに開かれたまま置かれた書物に目がいった。
これだけあまり埃が被ってなかったのだ。
内容は似たような研究成果の列記。
竜を征する者の細胞を培養した人造人間なるものを製造。
紅き暴威は全く遺伝せず、熱の抜けた蒼き抜け殻が出来上がったとある。
中核を成す憤怒の感情も乏しく、微々たる能力の発露すら困難。
またその耐久力もない完全なる失敗作……
「目的である最低限の機能を持つに留まるも、行使すれば消滅する……。破壊竜の紅剣を兵器に変える為だけに作られた……消耗品……。素体名、聖剣を貶める者……」
読み進めていた俺の思考が冷えていく。
これはなんなのか。今廻っている俺の想像が事実なら、今すぐ儀式をやめさせなきゃいけない。
「この壁変だよ。先に広い空間がある。それに気配が……四つだね」
「流石は地天の杖の所有者。空間把握はお手の物だな。酷く強固な擬装封印。そこが実験……いや儀式の間だろう。貴様ら、武装の援助があったとはいえ油断はするな。成り立てとはいえ魔王を名乗るだけの力は持っている」
隠し部屋を見つけたハミルの声で俺は我に返る。
警戒を促しながら手をかざし封印を解除し始めるプルートさん。
「なるようにしかならないし、なるようにするさ……。一人も犠牲なんて出させない。勿論シリルも含めてな!」
首から下げた指輪を握り、俺は自身を鼓舞するように宣言する。
シリルは人を辞め、全てを支配下に置くと言った。
だがシリルにとってそれは、命を賭けた儀式を越えた先にある。
フォルテも言ってたが、どのみち優しいシリルには無理な仕事。
友達である俺達が全力で止めてやらないとな。
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