348人が本棚に入れています
本棚に追加
/199ページ
百八十八話 まずは順風満帆
ベッドの上。暗がりの一室。
ゆらゆらと揺れる船内で俺は目を覚ます。
隣には人の気配と確かな温もり。途端に沸き上がる焦り。
ぼやけた視界に飛び込んできたのは肌を晒す女性の姿だ。
毛布で胸元から下は隠れているが、寝起きで頭が働かない。
ハミルかタマモか、あのけしからん痴女なのか。
心神耗弱状態とはいえここは開放的な海のど真ん中。
どんな過ちが起きたのか、鼓動と不安が高まる中で鮮明になっていく視界。
「おはようダーリン。気分はどーお?」
「……おはようハニー。凄く安心した」
艶っぽい視線で囁くようなフロル。
急速に平常心を取り戻した俺は呟くように吐き捨てた。
幼い頃から馴染みの友、冷静に考えて過ちを犯すような間柄ではない。
「ルーア程じゃないが、俺はコイツに色気の類いを一切感じないしな」
「声に出てるぞフレムく~ん?」
寝ぼけて口を滑らせる俺にフロルは怖い笑顔を向ける。
声色と表情は穏やかだが、俺の顔面に近付くその指先からは狂気を感じた。
「ごめんって! 悪かったよ、いらんサービス含めてありがとな!」
「ふん、良いわよ。幼馴染みの介抱を邪険にしちゃダメよ? 口もすっかり回るようになったし、そろそろ睡眠薬は必要ないんじゃない?」
涙目になりながら振り払うと、フロルは毛布を剥ぎ取りながらベッドから降りた。
意味深な台詞を放つフロルの視線は俺を飛び越えベッドの横へ。
その視線を辿るとそこには、堂々と瘴気を垂れ流す魔剣が置かれているではないか。
俺は何食わぬ顔でそっと起き上がり、机に置かれたアガレスを握り締め小声で叱責を開始。
(不用意に瘴気撒くなって! おまえが魔神だってバレるじゃないか!)
(お、俺はおまえがゆっくり眠れるようにと計らっただけだ! ついでにその娘も眠らせるつもりだったのだが、何故か瘴気が効かんのだ! 気を利かせたつもりだったのだ! 俺は悪くないぞ!)
剣を掴み向き合う姿は我ながら迂闊だった。
アガレスとの談合で我に返った俺が後ろを振り向くと、半目のフロルが無言でこちらを見つめているのである。
なお、恐ろしい早さだがすでに服は着ていた。
「そうそう、フレムくんをここまで運んで、ずぅ~っと看病してくれたハミルちゃんにもお礼言ってあげなね? ……もう一人で大丈夫かな? 私は先に行ってるわ」
フロルは直近の流れを淡々と説明した後、特に何も聞かず船室を後にする。
静まり返る船室に立ち込める微妙な空気。
俺はアガレスを見つめながら溜め息をついた。
「はぁ……。ああ見えてフロル結構鋭いからな。やっぱおまえ達の正体バレてるかも知れないぞ……」
「前から気になってたが、何か不都合があるのか? あの娘、イリス以上に肝が座っているぞ。話してやっても口外などしないだろう。それとも、おまえの友人はそんな嫌な奴等なのか?」
友人に心配を掛けたくない。そういう腹積もりだった。
しかしアガレスに諭されようやく気付く。
人には受け入れがたいであろう、人成らざる者達。
俺は友人に、アガレス達を否定される事を恐れていただけだ。
「……そんな訳ない。そうだよ。フロル達は、俺が初めて出会った大切な人間だ。おまえ達の事を意味もなく嫌ったり差別したりなんてしない」
「うん? なら良いではないか。俺もきちんと俺を認識する者が増えると嬉しいぞ」
自然と笑みが溢れ、俺は素直な気持ちを打ち明けた。
何か気になった様子のアガレスだが、俺の考えに同調してくれたようだ。
まずはフロルにちゃんと説明しよう。
改めて、大事な友人達に隠し事は良くないからな。
そう決意しアガレスを腰に納め甲板に出ると、ハミルやタマモ達が笑顔で俺を待っていてくれた。
「その、なんというか……。いきなり押し掛けて迷惑掛けたな。本当に申し訳ない……。それと……先生さん?」
「……プルートだ。先程はこちらも失礼した。古代遺跡の探索を生業としていてな。希少な武具につい興味を惹かれたのだ。心配せずとも、権利を害して宝を奪う趣味はない」
勢い任せで横暴な姿勢を貫いた事をまず謝罪し、初対面で食って掛かってしまった恥女さんに視線を移す。
プルートと名乗った恥女さんも温和は姿勢で対応してくれた。
とりあえず和解の方向で話が進められそうだ。
「それとハミル、看病ありがとな。ごめんな? 重かっただろう?」
「い、いいんだよ! す、好きでやったことだし……。それよりおにーさんが元気になって良かったよ!」
情けなさで空笑いになりつつ、ハミルにもちゃんとお礼と謝罪を伝える。
心地良い波動が送られていた気はしていたのだ。
ハミルが一生懸命神聖魔術を掛け、体調を整えてくれていたのだろう。
胸元で両手を振り、目を泳がせながら返答するハミル。
その後慌てたように目を逸らされ、こちらも若干ドキマギしてしまった。
「ほほ~ぅ。何やら進展があったのかのぅ? ハミュウェルのやつ、たかが船酔いに随分慌てていた様子じゃし~?」
「あらあら姫様ぁ? これは早々に聞き出す必要があるのでわぁ? うら若き美女集団の中に殿方が一人。間違いが起こっては大変ですし~?」
タマモとフロルは目頭を下げ広角は上がり、二人してニタニタと大変品のない顔でこちらを見つめてくる。
またまた面倒な奴等の波長が合ってしまったものだ。
腹立たしいが、確かに男一人は相当気まずいものがある。
しかも俺は初手から無様を晒してしまった。
このままでは立つ瀬がない。
なので俺が主導し、まず話し合いの場を儲ける事にした。
甲板の中央で円を作って並び、会議のような形を提案したのだ。
海賊娘達の戦力は侮れない。
利害関係を構築すれば、フォルテへの嫌がらせも捗るだろう。
「お陰様で体調も多少良くなった。ここらで情報を整理しよう。海賊やってる理由は知らんが、なんなら協力してやっても良いぞ?」
「いきなり尊大ね。その格好で言っても決まらないわよフレムくん」
俺が寛大な心で協力を申し出ると、フロルが呆れた様子で見下ろしてくる。
それは俺がハミルに膝枕をしてもらい、頭を撫でられているせいだろう。
仕方ない。船酔い治癒のために必要な姿勢らしいのだ。
腕にキャロルを抱いているのも当然療養のため。
復調しても万全ではない。
精神安定のためにモコモコ接種は必要不可欠なのだ。
ちなみにユガケは恨みがましく俺の尻に噛みついている。
「我々の目的地はエリュシオン大陸の南。オーリューン地方にある死の砂漠に埋もれた遺跡だ。同道は構わぬが、それなりの覚悟がなければ死ぬぞ?」
「なるほど。俺達はフォルテに用がある。出来ればグレイビア王国で下ろしてくれ。それまで仲良くしてください」
プルートさん達の目的はとある遺跡探索。
海賊娘の目的にも付き合おうと考えたが即座に断念。
俺は要望だけ伝えて拒否の姿勢を明確に貫いた。
死の砂漠だぞ? 名前からして殺しに来てる場所になど行きたくない。
「奇遇ですね。タマモと先生もフォルテ王子に用があるらしいですよ? 航路は同じですが、十日以上は掛かる船旅らしいのでまずは覚悟してください」
「へぇ~、んじゃちょうど良いな。日数考えると地獄だが、ひとまずはのんびりか? 皆で昼寝でもするか? 最近俺も忙しかったしな……」
「よしよし、寝んねしようねおにーさん。ユガケもキャロルちゃんも一緒に寝んねしよ~」
尻の方から聞こえるユガケの言葉で、俺の計画はほぼ形になったと言える。
フォルテ討伐作戦の仔細は後回しで良いだろう。
安心した俺は眠気を呼び起こされ、このまま気持ちよく眠ることにした。
ハミルの優しい声につられるように、徐々に意識が落ちて……
「それならフレムよ。今宵はわらわが添い寝をしてやろうかの?」
人の顔を覗き込むようにふざけた提案をするタマモ。
俺の眼前では豊かな胸の谷間が、山脈が大いに揺れている。
薄手のシャツから溢れんばかりで顔など見えない。
眠気が一瞬で飛び去ってしまった。
大いなる実りが瞬く間に、俺の視界と思考を占拠したのだ。
俺の手元尻元から離れ、甲板を転がっていくキャロルとユガケ。
判断を下す間もなく、俺の頭もゴロリと甲板に転がった。
「タマモちゃん……。そろそろ本気で決着を付けなきゃいけないみたいだね?」
「お? やるかハミュウェル? 無手の勝負なら受けて立ってやるぞ?」
ゆるりと立ち上がり笑い掛けるハミルに、悪そうな笑顔で挑発するタマモ。
そうだった。意外と戦闘狂で問題児な姫さんと船旅なのだ。
先行きがかなり不安になってきたぞ。
「あらあら、フレムくんったらモテモテね。しかしまあ、どこもかしこもムチムチと……。イリスもだけど、流石に四方八方スタイル良いと嫌になるわね」
「フロルもスラッとしてて良いと思うぞ? ほら、いくら食べても太らないって、いつもイリスに羨ましがられてるじゃないか」
フロルが寝そべる俺の側に近付き、腕を組ながら淡々と愚痴を溢す。
ハミルもそうだが、確かにタマモとプルートさんは特にムチムチと色気が凄い。
冗談のつもりでもなかったが俺のおべっかは空回り。
冷ややかなフロルの視線が中々に痛い。
「し、しかし警戒心強いおまえが随分あっさり馴染んだな。俺が倒れてる間に結構話し合ったのか?」
「ふふ、違うわよ。いくら乗り物酔いが酷いとはいえ、フレムくん危険な場所で簡単に気絶なんてしないもの。信用出来る人達なんだなって……」
なんとか話を弾ませようと食い下がると、ようやくフロルは笑顔を見せてくれた。
ハミル達を眺める姿に、裏表のない感情が垣間見れる。
「ちょ、ちょっと良いかなフロルさん? 話があるんだ……。実はザガンやシトリー、それとこの剣、アガレスは……」
「良い人達なのは知ってる。フレムくんが楽しく暮らしてるのも。だからちゃんと紹介して? それだけで良いわ」
このタイミングしかないと、俺は覚悟を決めて話を切り出した。
食い気味に返すフロルはこちらを見ず、されど声はとても優しげだ。
「ああ! まずはコイツだ。この剣はアガレスって言ってな。こう見えて魔神なんだ」
「もう話して良いのか? まったくだから言ったではないか。初めましてと言うべきか娘よ。俺はフレムの真の相棒であるアガ……ゴゴゴゴゴゴ……」
あれだけ気にしていたのに、アガレスを紹介する自分の声は驚く程に軽い。
アガレスも待ちわびたかのように意気揚々。
途端にイビキをかいて寝てしまったがそれはいつもの愛嬌だ。
気を遣ってくれたアガレス達には悪いことをした。
目をかっ開いて腰が引けてるフロルを見ると、若干早まった気がしないでもないが。
この空のように、とても晴れ渡るような心持ちだった。
この時の俺はまだ気付いていなかったのだ。
この船旅の……。いや、この船の真の恐ろしさを……
最初のコメントを投稿しよう!