百九十話  聖典の主

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百九十話  聖典の主

 威風堂々帆を広げ、初めて船らしく追い風を受ける我が海賊船。  だがフォルテの船が近付くにつれ妙な違和感を覚える。  こちらの数倍はデカイ黒一色の巨船。  船上部はやたら広々とし、船室らしき突起が端っこにあるだけ。  あとは半球状の黒い塊がチラッと見える程度で帆柱すらない。 「なんか思ってたのと違うな……。これのどこが豪華客船なんだ?」 「不思議な感じだね~。そこにあるのにそこにないみたい」 「ふむ、認識を阻害する術式かの? 船体自体も見たことがない。グレイビア王国の船ではないのか?」 「でもフォルテ王子様が乗船してるのは間違いないようですよ?」  俺とハミルが違和感を持ちつつポカンとする中、流石は一国の姫であるタマモは冷静そのもの。  その違和感を考察しつつ産地の方も気になるようだ。  続いてフロルが巨船の甲板から顔を出す男に言及する。  それは手すりに肘を置き、片手を振ってこちらをにこやかに見下ろすフォルテの姿。  黙ってればそれなりに面は良いが、今の俺には気取ったアホ面にしか見えん。 「敵の大将が顔を出したぞ! 総員即座に攻撃準備に移れ!」 「まあそう逸るな。一応一国の王子、全員揃って挨拶が先じゃろうて。ユガケ、目標に接触したと先生に伝えてくるのじゃ」 「狐使いが荒いですね、了解ですよ~」  ほんのり腹立つ感情を噛み潰し、俺はキャロルの頭を掴み砲撃準備を整える。  そんな俺を制したタマモが指令を出し、ユガケは渋々といった感じで船内へ飛ぶ。  程なく大きな客船に横付けする我が海賊船。  プルートさんを待つ間、威嚇砲撃でもするかと思ったその時……  フォルテの船から二名の男が飛び、こちらの船に勢い良く乗り込んできた。  ガラの悪そうなチンピラと育ちの良さそうな好青年。  我が悪友、アッシュとレオだ。そうだこいつらも居たんだった。 「レオの言った通りだったな。フロルを置いてきゃすぐにフレムに伝えに行く」 「そしてフレムさんはろくに準備もせず追ってくる。予想通りでしたね」  堂々と乗り込んできたアッシュとレオの言動、その端に見える冷たさに少し胸騒ぎを覚える。  そんな考えを巡らせているともう一人、なんとフォルテまでもが船に飛び込んできた。  こんな人並外れた身体能力。以前のフォルテは持ち合わせてなかったはずだ。 「フォルテおまえ……。この高さと距離を……。面白い魔道具でも手に入れたのか?」 「……そんなところだよ。そんな事より、お前の周りもれなく美女揃いじゃねぇか! ふざけんなよ!? こっちは色々大変だったってのによ! 随分楽しそうだなぁおい!!」  あまりに華麗な着地だったので腹立たしく、俺は少し煽ってみることにした。  適当に肯定したフォルテは急に目を見開き、こちらの面子を見渡し憤慨し始める。  こちらの気苦労も知らず何やら言いたい放題だ。 「「もれなく……美女?」」 「アッシュくんとレオくん。こっちおいで?」  返答に困っているとアッシュとレオが同時に呟き視線をフロルへ移す。  フロルが優しげな声色と笑顔で修羅へと変わった瞬間だ。  間違っても巻き込まれぬよう、俺だけはご機嫌を取っておくことにしよう。 「フロルだけ置いて行かれたと聞いて不憫でな。せっかくだから送りがてら俺も邪魔……ではなく、楽しい旅行に同行してやろうと思ったんだよ。それで、イリスはどこだ?」 「ははは、なるほどそれは御苦労。イリスならぐっすり寝てるよ。俺の大事な婚約者だ。海賊なんかの目に晒すわけないだろ?」 「こん……にゃく? そうかまた芋の話か。相変わらずふざけた奴だ……。うん? そのネックレス……、おいフォルテ! それはイリスにやったもんだぞ! 何でおまえが身に付けてんだ!」  機先を制すとばかりに用件を押し付けてみるが、ここでフォルテがまた加工食材の話を始めた。  その妄言はなんとか聞き流せたが、フォルテの胸元に光るネックレスが目に付き、これは流石に見逃す事が出来なかった。 「ああこれか。バカ言うな、俺がイリスの持ち物を奪う訳ないだろ? これは……お前に貰ったんだよ」 「俺が? おまえに贈り物した覚えなんかないけど……。っ!? 全員今すぐ避けろ!!」  薄く笑うフォルテの言葉。その真意に気付いたのは、フォルテが両手を合わせようとした瞬間。  咄嗟に叫んだ俺は甲板を蹴りその場から離脱。  フォルテが両手を打ち鳴らしたと同時、俺の眼前にて激しく大気がぶつかる音が響き渡る。  ひやりとしたがハミルもタマモも、フロルでさえ俺より早く反応し待避していた。 「この現象はマオと一緒に居た……。まさかあの金ピカ鎧、おまえだったのか!? あんなカッコい……、ふざけた格好でよくもやってくれたな!」 「にっぶいなぁ。セリオスはうっすら勘付いてたみたいだったぜ? 俺はこないだの戦争後に消息不明になってるから、確証は持てなかったようだがな」  俺からネックレスを奪った怨敵である金ピカ。  その正体はフォルテだと判断し本人もすぐにそれを認めた。  セリオスの奴め。はっきりしない事はいつも言わないよな。 「消息不明だと? 俺は聞いてないがどういう事だ? とりあえずネックレス返して殴られろ」 「フォルテよ。もしやその身に宿る黒天狗の卵が変調したか? なら尚更、何故わらわに相談せんのじゃ?」 「質問が多いな。後でフレムにはゆっくり教えてやるよ。……フレムとその毛玉を捕らえるぞ。残りは適当に痛め付けて帰してやんな」  怒りはあるが不明瞭な状況も絡み、俺は諸々の仕返しで一発殴れれば気が済みそうである。  しかしタマモとフォルテは少々込み入った事情がある模様。  そしてフォルテが下した命令を受け、アッシュとレオの顔つきが変わった。 「全力で行くからな……。手加減なんかすんなよフレム?」 「この魔剣ファフニールは裂傷箇所から神経を焼きます……。絶対に避けて下さいねフレムさん……」  大剣を構えるアッシュと短剣を逆手に持つレオ。  敵意を撒き散らしながらも、その言葉は二人ともこちらを思いやる温かさがある。 「冗談だろ!? なんで本当に戦う流れになってんだ! アッシュもレオも様子がおかしい。フォルテとアッシュはともかく、レオに手荒な真似はしたくないし……。くそ、どうする……か?」  状況が整理出来ず困惑する俺の前に出る者が三名。  その中心は堂々と腰に手を当て仁王立ちを決めるタマモ姫。  その左右にはハミルとフロルが並び立った。 「わらわに喧嘩を売るとは良い度胸じゃな。ハミュウェル、フロル、脇の下っ端を始末せい!」 「「がってん親分!」」  小首を傾げるタマモが低い声で指示を出すと、まるで打ち合わせたかように元気良く返事をするハミルとフロル。  まず弾けるように飛び出したハミルがアッシュの大剣をヒラリとかわし、ボディに数発の拳打を撃ち込んだ。  フロルはレオの流れるような短剣の軌道を舞うように避けると、レオの首筋に痛烈な拳を打ちおろす。  悲しきかな、男性二名はそのまま崩れるように倒れ込んだ。 「あれ? え? ちょっと待って。一旦仕切り直そうぜ? もっとこう、躊躇とかあるだろ?」 「敵前じゃぞ? そんなものある訳ないのぅ!」  面食らった様子のフォルテに一言返し、弾丸のように放たれたタマモが襲い掛かる。  握り込まれたタマモの拳が容赦なくフォルテの腹部にめり込んだ。  目に涙を貯めたフォルテの身体はくの字に曲がり、船首方向へと転がりながら飛ばされる。  この間僅か数秒の出来事、容赦ない女性陣に俺もほんのり恐怖を感じてしまう。 「質問をしているのはわらわであるぞ。封印して取り出してやると言うたろう? 何故姿を消した?」 「は、余計なお世話なんだよ……。分かるんだ。どうせ元には戻れねぇ。あの鎧やこのネックレスがなけりゃ俺は……」 「なんじゃと聞こえんなぁ? 寝たまま言うても響かんぞ?」 「はい! はい! 必要なくなったんです。はい!」  激昂する勢いのタマモに対し、フォルテは腹を押さえながら辛うじて言葉を絞り出している様子。  そのか細い声に圧を掛けるようなタマモに対し、フォルテは即座に正座へ移行し勢い良く発声する。 「事情知らないから俺は何とも言えないが。う~ん、説明してもらえるか? そっちの船に乗ってる少年」 「おやおや、当てずっぽうにしては良い勘をしてますね。相も変わらず僕に対する危機感が全くないようですけれど」  依然状況はさっぱりだ。だが俺はあえて隣に浮かぶ巨船の上部に声を飛ばす。  金色の鎧がフォルテなら、奴が居る可能性も高い。  返ってくる声の先、巨船の甲板に現れたのはやはり紫髪の少年、道士マオの姿。 「おにーさん! あの子の持ってるの、教会にあった教典だよ!」  脳裏にあった憶測を思い返した直後、ハミルがマオの手にする書物に反応。  それがこの憶測を裏付けた。  法王の言っていた人心を操る教典。まったく面倒な奴に渡ったもんだ。 「最悪の読みが当たったな。やっぱアイツに操られてたか……。アッシュとレオや、フォルテもな! だったら話は早い。何企んでんのか知らねぇがその本、この場で処理させてもらう!」 「そういう結論に至りましたか。少しお借りしていたに過ぎないのですがね。僕も冤罪を掛けられては面白くありません。そろそろお返しするとしましょうか?」  一喝した俺はキャロルを下ろしアガレスを引き抜いた。  マオはやや困り顔で笑うと教典が宙に浮き、甲板から覗く黒い塊の前で開かれる。  そして黒い塊の中から聞き覚えのある、されど驚く程冷たい声が響いてきた。 『……非力かつ蒙昧(もうまい)で哀れな民よ、我が声に耳を傾けよ。《太陽の下、人は深い眠りに就く。その支配に何人も抗う事は出来ない》』  冷淡なその言葉が不可思議な感覚を放つ。  内容自体はふざけたもの。明らかに世迷い言だ。  だがその言葉を耳にした瞬間、俺は猛烈な眠気に苛まれた。 「なん……だ? この眠気は……。アガレスか……。いや、違う! 法王の言ってた呪言か!」 「おや、これも抗えますか。大したものです。それとも、すでに自身を人と認識していないのか」  疑念を持ってアガレスに視線を落とすが、良い感じに黙りで過度の瘴気も出ていない。  すぐに俺はこの眠気の正体を強制刷り込み、思い込みであると結論付けた。  マオの言い様からしても、心の在り方次第で回避は可能と見る。 「この声……まさかシリルか! その黒いヤツの中に居るのか!?」  意思を強く保ち再び剣を構え、声の主に語り掛ける。  口調は冷たく暗いが、この声質や喋り方は間違いなくシリルだ。  問いの返答がないまま、今度は巨船自体から無数の黒く鋭い触手が伸びてきた。  俺は避けつつも簡単に触手を切り払っていく。  触手は脆く切った側から消滅するが如何せん数が多い。 「今更こんなもんでどうにか出来ると思うなよ? シリル聞いてるか! おまえが教典の所有者だと? 説明しろ! 訳が分からないぞ!」 「おいフレム。こっちを忘れてねぇか?」  黒い触手とシリルの気配に気を取られ、失念していた俺の耳にフォルテの声が届く。  両手を地に向けるフォルテ。その先にはフロルと、キャロルを抱えたハミルが押さえ付けられるように踞っていた。  フォルテの不可思議な力による見えざる捕獲。  タマモはアッシュとレオ共々フォルテの側で横たわり、だらしない面で眠っていやがる。 「この毛玉が駆け寄ってくれたお陰でハミュウェルも簡単に捕まえられたぜ。安心しろ、動けない程度に押さえてるだけで痛みは与えてない」 「俺の落ち度か……。女性二人に加えてキャロルも子供だ。そのまま丁重に扱ってくれよ……」  フォルテは癪に障る笑みを浮かべ、形勢逆転とばかりに得意気になっていた。  俺は出来る限り悔しそうな表情を作って現状維持を訴える。  目元が落ち掛けてはいるも、フロルもハミルも眠気に抗っている様子。  キャロルに至っては正常な様子でキョトンとしている。  こっちはまだ危機と呼べる状況ではない。 「俺達は罠に嵌められたって事だな。それでシリル、ミルスちゃんを拐ったのもおまえなのか?」 「ミルス公女なら僕が迎えに行きましたよ。もちろん勇者殿の指示でね。それより状況を理解していますか? 人質は複数、狙い通り貴方は手持ちの戦力、そのほぼ全てを置いてきた。諦めて投降してはどうでしょう?」  歯痒さを醸しながら質問をぶつけるが、シリルは依然として沈黙している。  代わりにマオが答えながらも投降を要求してきた。  現状こちらが不利なのは間違いない。 「……要求を飲んでも良いが、まずはシリルを出せ。悪ふざけにしちゃちと話が長いぞ」 「少々予定が前倒しになりましてね。僕達の主はまだ御披露目の準備が出来ておりません。先んじてフレムさんとキャロルは確保したいところですが、応じてもらえるなら残りは無事に帰すと約束しましょう」  応じる姿勢を見せつつ譲歩を提案するが、微笑むマオに即却下された。  その話を鵜呑みにするなら、コイツらのトップはシリルってことになる。 「シリルの意志ってのがまず信じられないな。だがそんな用件なら、確かにラグナートやザガン達は邪魔だわなぁ。それで? 随分急だが、俺とキャロルが必要な理由はなんだ?」 「これ以上四魔皇(ルインフォース)と接触されては計画に支障が出る恐れがありまして。それに『配役が変わった』とはいえ、やはりセリオス王の側に貴方達を置くのは危険なので」  疑念は数あれど、まず俺の存在を重要視し始めたのが疑問だ。  マオは明確な答えこそ言わないが、リリスさんの組織との敵対は明白。  重要なのはそこのはずだが、何故か些細な単語が引っ掛かってしまう。  言い間違えは気になるだろう。セリオスはまだ王ではないが? 「それにしても、クリムゾンシアーすら所持していないのは驚きました。その魔剣もラグナートが居なければ持ち腐れでしょう。貴方は魔神の本質を薄々理解しているようですが、それを差し引いても勝ち目はありませんよ」  笑顔を絶やさず余裕を貫くマオの目的など知る由もない。  人の手に負えない存在である真なる魔神。  その本質とやらは知らないが、確かに俺は皆が言う程の驚異を感じていない。  こちらの手札もまだある。とはいえ動きがない以上過度の期待は出来ないだろう。  せめて彼女が敵でない事を祈りたい。 「この数日、イリスやフォルテに会えるんだって……なんだかんだ楽しみにしてたんだけどなぁ……。また妙な事に巻き込みやがって……」  思い返すと恥ずかしいくらいにははしゃいでいた。  そんな俺の純真は見事に踏みにじられたのだ。  そろそろ不安と怒りと混乱と、航海で蓄えられたもどかしさが限界にきている。 「アガレス、起きてるな。久々に暴れてもらうぞ。あはははは、もういいや。説明しないならとりあえず全員ぶちのめそう。話はその後だ。コイツ、俺らの事完全に舐めてるぞ」 「うむ、勝った気になられると気に入らんな。俺があの駄剣に劣ると決め付けた事はなお気に入らん!」  俺はもう混乱を通り越して笑いが出てきてしまった。  アガレスは怒りをあらわにするが、どこか浮かれたような口振りでもある。  それはそうだろう。マオ達の余裕の正体は俺の力不足。  どうやらこの魔剣アガレスの真なる相棒が誰か、完全に勘違いしてるようだからなぁ。
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