百九十三話  ドラゴンシップ

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百九十三話  ドラゴンシップ

 文字通り嵐が去った海の上。  二隻の船は不思議な巨大ゼリーに乗る形で事なきを得ていた。 「向こうの船は見た目程じゃないな。排水が機能してなかっただけで浸水してる訳でも無さそうだ。浮かぶだけなら問題なさそうだぞ?」 「こちらは駄目だな。破口した箇所が大き過ぎる。船としては使い物にならん」  この間俺はフォルテが置いてった船を修繕し、なんとか一応の退路を確保。  一方プルートさんが調べた結果、俺達の乗ってきた船は絶望的なようだ。 「ごめんねぇ。咄嗟に頭に浮かんだ技を使ってみたんだけど、これ良く分かんなくて……」 「いや実際助かったよ。生き延びただけでも十分なのに治癒効果もあるみたいだしな」  少しショボンとした様子のハミルだが、この巨大ゼリーは俺にとって窮地を脱した偉大な術だ。  透明感と光沢、弾性もありぷるっぷるの質感で周囲の海域と甲板を埋め尽くすこの物質。  術者本人も分からないとなれば神器の隠れた能力か。  どうやら生命力を活性化させる効果もあるようで、疲弊した心身もみるみる回復していったのだ。 「さて、色々感情が大暴れのはずなんだが……。気分も大分落ち着いたな。それともすでに怒りが限界を超えたのか?」 「お怒りはごもっともだけど現実は見ないとね。それでどうするの? 公女様は心神喪失状態。パパ様も絶対安瀬なんでしょ?」  立ち尽くし天を仰ぐ俺にフロルがお手上げの姿勢で伝える現状。  次から次へと事態はどんどん悪化している。  シリル達が乗り捨てた船の上に二人が取り残されていた。  それは横たわるゼファーさん。そして目を見開いたまま座り込むミルスちゃん。  船から救出し、二人共ぷるぷる不思議水に浸けているが一向に意識を取り戻さない。 「シリルくんが天使の力を取っちゃったから……かな? ミルスちゃんは教典のせいだと思うけど」 「元々人間に近しいとは聞いてたが、天使兵器の能力を移し変えるなんて出来るのか?」 「いいや、不可能だな。貴様が言っているのは最下級天使の話だろう。上位天使の力をその身に移し、ましてや権能を行使するなど出来るはずがない。この千魔の書で体を造り変えたか、あるいは……」  確認するように呟くハミルだが俺の疑問は拭えない。  しれっと魔道具の本を回収しているプルートさんも明確に無理だと断じる。  一応催眠状態でありながら記憶が残るアッシュとレオに経緯は聞いた。  数日前に怒り狂ったゼファーさんに強襲され、かなりの激戦を繰り広げた模様。  だがミルスちゃんを人質にした事でゼファーさんは沈黙。  ゼファーさんの胸をシリルが刺し貫き、発光する何かを抜き出したらしい。 「摘出されたのは上位天使の核『熾界断章(セラフシステム)』だ。ゼファー専用の動力源と言っても良い。これを行使できた以上、奴がすでに人間でないことは確定している」 「それでもミルスちゃんにゼファーさんの傷を治させてたんだろう? キャロルの扱い次第だけど、俺はまだ敵になったと思いたくない」  プルートさんが言うにシリルはすでに人外の身。  正直俺はそんなことどうでも良く、仲直りを諦めた訳ではない。  ゼファーさんも千魔の書とやらで肉体の損傷自体は補われているらしい。  命まで奪うつもりは初めからないのだ。 「どちらにせよここでこれ以上の治療は不可能だ。公女の洗脳も含め、アソルテ館の魔神共に頼るしかないだろうな。だが仕切り直す猶予はない。今ならあちらの船を媒介に帰路の保証はしてやろう」 「僕は付いていくよ! キャロルちゃんを取り返さないと! それに凄く嫌な予感がする……。シリルくん……何か怖い事を考えてると思うの」  暗にここで解散、そうプルートさんは言いたいのだろう。  だがハミルは頑とした態度で胸中を語る。  今回に限ってそれは俺も同じこと。 「イリスに加えて大事な家族まで拐われたんだ……。それに借り物の剣も奪われた……。マトイとラグナートに会わせる顔がない……。どう止められたって、俺は全部取り戻しに行くぞ!」  俺は拳を握り決意を言葉に変える。  彼等が本気でキャロル達に危害を与えるとは思っていない。  実情も把握せず敵地に赴くのも分が悪い。  なら一度撤退するのが吉。そんな事は百も承知。  それでも俺の想いと責任がそれを許さないのだ。  かと言ってこの状態のゼファーさん達を連れて行く訳にもいかない。となれば…… 「……しゃーねぇな。んじゃ俺達が送ってくか?」 「そうですね。僕もアッシュさんに同行しますよ。正直力不足は疑いようもありません。この先役に立つとは到底思えませんので……」 「私もね。この数日頑張って溜めた魔力ってのが一瞬でなくなっちゃったし、パパ様達の護送に付くのが無難かしら?」  珍しくも空気を読んだアッシュに続き、レオとフロルが撤退組に名乗りを上げる。  好き勝手利用された挙げ句イリスも取り戻せていないこの現状。  これはコイツらにとって相当悔しい決断のはずだ。 「妥当だろうな。先程の小競り合いで魔力は枯渇。人間は矮小な魔力を生み出すだけでも数日は掛かる。酷な言い方だが、すでにこやつらは戦力外だ」 「うむ。シリルの呪言にさえ抗えぬならば連れていても邪魔になるからの」  実力者面のプルートさんと偉そうに語るタマモの両名。  決着間際で現れたヤツと呪言とやらでさっきまで寝てたヤツが随分辛辣な物言いである。  だが依然気絶中のユガケと、力を引き出せない程爆睡してるアガレスよりは偉い。起きてるだけ偉い。 「ったく、返す言葉がないってやつだな。なあ姫さんよ。俺の愛剣アッシュバスター改だけでも持っていってくれねぇか?」 「まあ良かろ。得物は多いに越したことはないからの」 「操られただけ、というのは無様過ぎます。ハミルさんでしたか? 僕の短剣もお願いします。古代王朝の遺産、きっと役に立つはずです。僕のフレムさんをよろしくお願いします」 「うん任せて! 僕のおにーさんは僕が必ず守るよ!」  手痛い言葉を素直に受け取るアッシュはタマモに身の丈を越える大剣を託し、レオはハミルに家宝である短剣を委ねた。  レオとハミルの笑顔に互いを牽制する圧を感じるがおそらく気のせいだろう。  コイツらの気持ちを思うともどかしい光景だ。 「悪いなフロル。本音を言ったら皆一緒にイリスを助けてやりたいんだけど……。この事をシトリー達に伝えてくれないか?」 「あ~あ。せっかく強力な魔道具あっても肝心な中身が空っぽじゃね~」  俺は歯痒そうに自らの腕を握り締めるフロルに言葉を掛ける。  するとフロルはすぐに破顔しおちゃらけた愚痴を溢した。 「気に病む必要はない。心身を蝕む魔性の力、人の身で膨大な魔力を好き勝手に振るうこやつらが異常なのだ。この場に停滞する瘴気ですら、今の貴様らには毒になろう」 「胸が締め付けられるくらいありがたいお言葉ね。もうお荷物でしかないのは悔しいけど……。それなら……」  そっけなくも感じ取れるプルートさんの気遣い。  諦めたようなフロルもそれを察し、首飾りを外しながら俺の前に歩み寄る。  にっこりと笑ったフロルはその首飾りをそっと俺の首に掛けた。  瞬間鎖に掛かった指輪が赤黒い魔力を湛え始め、瞬く間に強力な魔力が俺の身を包み込む。 「わぁ~お! さっすがフレムくん!」 「……何故だ? あやつ化物か?」 「うむ。多分人間ではないのぅ」  笑顔で称賛し小さく拍手するフロル。  その背後で訝しげな目を向けるプルートさんと呆れた口調のタマモが失礼極まりない。 「凄いなこれ。何か家に戻ったような安心感さえする。……ありがとうなフロル。色々勝手した事、皆に謝ってたって伝えといてくれ。セリオスにも、接触を禁止されてたマオと一戦交えちゃったしな……」  まるで家の皆が側にいるような温もりを覚え、俺は腹を括る事が出来た。  改めて伝言を頼みながら向き直ると、やけにフロルの鼻先が近い事に気付く。  その距離はみるみる縮み、少し背伸びをしたフロルの唇が俺の唇と重なった。 「え?」 「シトリーさんや殿下、私が止めたってどうせ無駄だったでしょ? 私の知ってるフレムくんは、常に後悔しないために動くんだから……。全部取り返して、全部片付けるんだよね?」  呆然とする俺を見据え、唇を離したフロルが暖かい笑顔で俺の言葉を代弁する。  子供の頃から度々口にしていた俺の信条。  その言葉に俺は思わず苦笑いを溢した。 「その通りだ。俺は何度間違ったって後悔だけは絶対しない。これまでの道程を、そこまでの繋がりをなかった事にはしたくないからな」 「おーけー。それじゃその指輪、ブラッドルージュを私だと思って。私達の分まで、イリスのことお願いねフレムくん。……さ、帰るわよアッシュくん! レオくん!」  自身たっぷりに返した俺にフロルは満足そうに微笑んでくれる。  早口で捲し立てたフロルは踵を返し、逃げるように走りながら帰還船に飛び乗った。  ゼファーさんをおんぶしたアッシュと、ミルスちゃんを抱えたレオもそれに続く。  乗船を確認したプルートさんは千魔の書を開き、本から溢れる莫大な瘴気が帰還船を覆う。 「千魔の書(パンデモニウム)よ。現世に魔性を呼び戻せ……。具現せよ黒き霊鳥、ヤタガラス!」  大気に木霊するプルートさんの呪文。  帰還船を覆う瘴気は瞬く間に変化し、それは巨大な巨大なカラスを形作り翼を広げる。  空に羽ばたく雄々しき三本足の大カラス。  こんな魔神をポンポン作り出す魔道具が今更ながら恐ろしい。 「全速力だ。五日も掛かるまい」  そう言ってプルートさんは右手を前に突き出し、同時にカラスが大海原を飛び去っていく。  乗り心地が心配だし乗組員はびっくりだろう。  俺もびっくりだよ。船を直した意味がないんだもの。 「まずはフロル達への気遣い感謝しますよ。それで? プルートさんは俺達の敵って認識で良いのでしょうか?」 「ただの人という身なればこそ、あの御方の油断を引き出せた。その大金星に対する正当な労いだ。敵対関係もこの状況下では意味を成さぬだろう? どのような罠があるか分からんのだ。警戒心はそこに割いて置け」  友人達への心配りに俺は素直に礼を言った。  先程の穏やかな雰囲気は上っ面。状況はそんなに軽くないのだ。  それは敵対組織であるプルートさんも同様。  これまで通り協力関係を続ける事が暗黙となる。 「残った以上は覚悟せよ。この場の瘴気はもとより、ここより先は人の身にて堪えうる保証はせぬ。……傷病者は遠ざけた。そろそろ姿を見せろ……。ネプトゥヌス!」  真剣な表情で覚悟を求めたプルートさんは、そのまま視線を海に向け何者かに呼び掛けた。  前方に広がる海の底から浮かんでくる影、それは凄まじい魔力と圧倒的な存在感を持って海面に浮上。  長く太く力強い首に雄大な翼。恐ろしい二本の角を天に掲げ、射殺すような鋭い眼光。  俺達の前に、銀色に輝く超巨大な竜が姿を現したのだ。 「本調子には程遠いとはいえ、夜の女神とも呼ばれし魔神が……。矮小な人間共といつまでも戯れおって。恥を知るが良い。恥を」 「手負いは貴様も同じだろう。気が立っているのは分かるが、もう少し加減をしてやれ。貴様の波動は人間の心身を萎縮させる」  恐ろしい見た目と声ながら、キョロキョロと周囲を警戒する様子を見せるドラゴンさん。  プルートさんも嗜めてはいるが、このドラゴンさんは気配だけで周囲に凄まじい圧を掛けまくっている。 「これが伝説とされる海域の神にして生物の頂点、竜王の片割れか……。そら恐ろしいの……」 「わぁ~マトイちゃんよりおっきいねぇ。お背中広そう」 「船の下泳いでたおっかないドラゴンさんか……。この際四の五の言ってる場合じゃないからな……。あんまり揺れないようにお願いしますね」  険しい表情で体の震えを押さえるタマモと違い、ハミルは非常に軽い感想を持つに留まる。  魔力防護など貫通する懐かしい竜波動。  当然俺は影響をもろに受け、手足に軽い痺れを覚えていた。  非常に恐怖を感じるが要求はしっかり伝えないといけない。  決めつけは良くないが、俺にとってドラゴンはもはや乗り物なのである。  こちらを一瞥した銀色の竜は返事をくれないまま、俺とハミルから外した視線をプルートさんに投げた。  その瞳はどこか悲しそうでもある。 「考えるな。ただの神輿と思っていたがリリスの言う通り、魔神館の主が一番おかしいのかもしれん。とにかく予定は変わらん。あの御方が消えた今が最大の好機。準備を急ぐとしよう。早く背中に乗せろ」  プルートさんの失言が目立つようになり、それに伴い俺の心も傷が増えていく。  気になる発言は多いが、その最たるはやはりマオへの態度であろう。 「さっきから随分マオに対して恭しいですね? あの小僧が何者か御存知なんですか?」 「道すがら話してやるさ。貴様らのお陰で斥候と呼べる人格は消えた。本体はフィルセリアの遥か北、封印そのもので出来た氷結大陸(コキュートス)にある。その大地に綻びでも生じねば当面の脅威はないのだからな」  遠回しに関係性を聞いたつもりだったが、プルートさんは正体にまで言及してくれるようだ。  しかし口にされたいくつかの単語が妙に引っ掛かる。  安堵している様子のプルートさんと違い、俺の心はざわつき始めた。  心当たりなど全くない。だけど背筋に走るこの悪寒は……  きっと隣で発熱する短剣を握り、張り付いたような笑顔が怖いハミルの影響だろう。  そう結論付け、俺達は寂しげに海面に浮かぶドラゴンさんの背に乗り移った。
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