二話  魔神の館 前編

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二話  魔神の館 前編

 正しく悪夢だった。  小鳥のさえずりが耳をくすぐる中、俺の意識は半ば覚醒する。  なんとも恐ろしい夢を見たものだ……  あの愛らしい生物が夢の住民だった事は酷く残念だが仕方ない。  所詮は夢なのだ。  自分の可愛らしい願望を叶えてくれた夢に感謝しつつ……  俺の意識は今日も気だるげに覚醒していく。  ああ、このありふれた日常がなんと心地よい事か。 「起きたまえ」  いきなり尊大な物言いである。  こちとら恐ろしい夢を見て心がへし折れているというのに……  そんな言い方をされては仕事をさぼって二度寝されても文句は言えまいて。 「息があるのだろう? 起きているのは分かっているのだ……」  ……はて? どちら様だ?  俺は一人暮らしである。それは間違いない。  少なくともこんなくぐもった声の知り合いは居ない。  そうか強盗か。俺はハッキリ言って喧嘩が弱い。  こうなれば不意打ちパンチでもかまし、怯ませてから逃げるより他に手がないと感じた。  気持ちよく目覚めた瞬間永眠とか冗談ではないのだ。  俺はそう覚悟を決め、勢いよく目を開けた。  ……骨だ。骨が居る。骨としか形容出来ない『何か』がそこに居たのだ。  骸骨に頭まで覆う黒いローブを羽織った存在が、俺の顔を覗き込んでいるのである。  あまりの衝撃に目を見開いたまま固まってしまうのは仕方のない事であろう。  そもそも人間って骨だけで動けるのだろうか?  否、不可能である。  ぶつりほーそくに反している。  これが噂の人類の天敵、悪魔ってヤツか。  俺は見た事もないものは信じないが見てしまったので信じよう。  うん、超恐い。これは見つめているだけで死ねる。 「ようやく目覚めたようだな。こちらに来たまえ」 「はい、喜んで~」  骨の指示に俺は従う他選択肢はなかった。  ベッドから起き上がり、二つ返事で骨の後に付いて行く。  客間らしき部屋からやたら広い廊下に出て、通されたのはこれまた豪華な一室。  大きな丸いテーブルが置かれ、一番奥の席には骨が座し、さらに二名の人物が骨の両隣の席に座っていた。 「そこに掛けたまえ」  骨に言われるがまま、骨が腰かけた対面の席に座った。  向かって左の席には腰まであるブロンドの髪、病的なまでに白い肌をした、上品かつ妖艶な黒いドレス姿の美しい女性が座り……  右側には全身真っ黒のフルメタルアーマーの巨漢が腕を組んで座っていた。  時折『ゴゴゴゴゴ……』と地鳴りのような音を響かせるフルメタルさん。  にも拘らずまるで中身がないかのように気配がない……  こちらもぶつりほーそくに反した存在のようだ。  とっても恐ろしい。  そして不気味なほど優しく微笑む美女。  少し身体を動かしただけでタユンと揺れる、その豊満な胸部はぶつりほーそくに反する張りを持っているようだ。  大変素晴らしい。  これはもう生きて帰れる予感がしない……  若干帰りたくない気もしてきたが。  骨の背後には先日見た巨大猫が二足立ちしている。  何故かメイドのようなヒラヒラ服を纏っているが、その姿にほんの少しだけ心が和んだ。 「遠慮せずに食らうが良い、客人のために腕によりをかけて用意した」  手の平を差し出し、食事を取るよう促す骨。  俺の目の前には確かに料理が置いてあった。  ビーフシューか何かだろうか?  一見食欲をそそる見た目と匂いだ…  だが待ってほしい。  この後自分が料理されるかと思うと何も喉を通る気がしない。  むしろ吐きそうだ。  出された料理には当然肉らしき物が入っている。何の肉だろうか?  人肉の可能性もありえるだろう。 「どうした?」  骨が発するやたら反響するドスの効いた声に萎縮する俺。  どのみち逃げ場などどこにもない。  こんな見た目お高そうな料理も二度とお目にかかる事もないだろうし……  文字通り潔く最後の晩餐にあずかろう……  喉を通る気はしないが、俺の腹は喉の気も考えずメシを要求していた。 「ありがたく頂かせて貰います……」  置いてあったナイフ等の使い方もろくに知らないので、作法もへったくれもあったもんじゃない。  俺は半泣き状態で料理を食べた。なにこれうめぇ。 「どうかね?」  骨なので全くもって気のせいのはずだが、ニヤリと笑うような不気味な感じだ。  高級料理など食べた事がないので分からないが、俺の味覚には合っていた。  正直今なら何でも美味い。我ながら簡単な人間である。 「け、結構なお手前で……」  裏返ってしまった……声が。  腹がある程度満たされた事で、死が刻々と近づいて来る感覚が強さを増していた。  もはや秒読みである。  では次はお前を頂こう……、きっとそう言われるのだろう。 「そうか! 美味いかね? 汝が寝ている間に頑張ったかいがあったというものだな!」  予想に反して骨はとても嬉しそうだ。  目的が読めない。俺は食われないのだろうか? 「わたくしの分は要らないとあれほど言いましたのに……、人間の料理は口に合いませんの。わたくしはこれで十分ですわ」  ピンっ! と指先で優雅にグラスを弾いて見せる美女。  骨はまんま悪魔だとして、やはりこの美女も人ではないのか……  ところでそのグラスの赤い液体はトマトジュースか何かだろうか?  健康志向なのだろうか? 「黙れ! 汝らが我の偉大なる品を正しく評価出来れば、こんな茶番は必要なかったのだ!」  何やら御立腹の骨。  フルメタルさんの方は依然地鳴りを奏でている。  俺は場の空気に堪えきれず、勇気を出して問い掛けた。 「あの! 私はこの後……、どうなるのでしょうか?」  静まり返る空気、固まる悪魔達。  俺は何か地雷を踏んでしまったのだろうか? 「どうなるとは? そもそも汝は我等が屋敷に何用で来たのだ?」  骨に質問を返されてしまった。  何用もくそもないのである。  自分から悪魔の巣に飛び込む馬鹿など居るわけがない。 「いえ、実は森で迷子になりまして……。疲労困憊のところ、そこのお猫様にその……、連れて来られたと言いましょうか……」  俺はそこの愛らしい巨猫に拐われて来ただけだと……  ここまでの経緯と合わせて出来うる限り低姿勢で、低姿勢で説明した。 「それは……難儀であったな……。まぁチノレに拾われなければそれまでの命だったやもしれぬし……」 「そうですわね……。むしろ助かったと思う方が健康にはよろしいかと思いますわ……」 「ゴゴゴゴゴ……」  同情した上に慰めてくれる骨や美女、フルメタルの反応は理解不能。  油断したところをパクっと殺られる不安は拭えないが、先程まで感じていた緊張感が和らいだのは事実だ。  そこで俺は自身が結構怪我をしていたのに何ともなく、擦り切れた服さえ直っている事に気付いた。 「衣服なら我が直して置いたぞ。その程度造作もない。怪我の方はシトリーが治していたがな」 「そ、それはなんとも……。お手間を取らせてしまいまして……。ありがとうございます」  どうやら骨が修繕してくれたらしい。  凄いな。これが悪魔の能力か……  手縫いに見えるが些細なことだ。  骨、そしてシトリーと呼ばれた美女に俺は丁重にお礼を述べた。  何から何まで申し訳ない。 「お気になさらないでくださいまし。あの程度の怪我なら舐めれば治りますわ。舐・め・れ・ば」  美女の怪しい言い回しに戦慄を覚えた。  何故……、何故もっと早く目を覚まさなかったんだ俺は!  持論を撤回して後悔の嵐だ!  俺はこれから先、一生自分を責め続けることだろう。  この罪が消えることはないのだ! 「た、助けて頂いた上に食事や怪我の手当てまで……。本当にありがとうございます。わ、私は近所に住まうフレムと言うチンケな者でして……」  もはやどうとでもなれば良い。  とりあえず保身も兼ねて助けてもらったお礼を述べた上で自己紹介をし、ついでに気になっていた事を尋ねた。 「差支えなければ命の恩人様のお名前を拝聴してもよろしいでしょうか? それと……、ひょっとすると素敵な鎧のお方は私がこの場にいる事を快く思っておられないのでは……」  名前の確認と共にしれっとフルメタルさんに話を振る。  こうなると現場フルメタルさんが一番怖い。  何せ一言も喋っていないのだ。  言葉が通じるのかさえ分からない。 「ふむ……、これは失礼、紹介が遅れたな。我が名はザガン。この屋敷で錬金術の研究をしている」  フルメタルさんではなく代わりに骨が話し出す。  思いの外礼儀正しい……  錬金術ってあれだろ確か……、水を石に変えたり何か色々混ぜて全然違うもの作るやつ。  とりあえず凄い骨って事は分かった。  巨大な猫ちゃんはチノレと言う名のメスネコで昔散歩中に拾ったらしい。  あんな巨大な猫が生息している地域があるなんて世界は夢で溢れているな。  ちなみに散歩中に気に入ったものを籠に入れてよく拾ってくるらしい。  俺は咥えられていたが、多分気に入ってくれたのだろう。  生物だから咥えたのだ。でなければ悲しい。  そのチノレはすでに部屋の隅の寝床、大きなクッションの上で就寝中である。  なお、メイド服はボロボロになって床に落ちていた。  美女さんの名前はシトリーさん。  自分は水分だけで生きていけるので心配しなくて良いと、こちらの不安を汲んでくれた。  恐らく天使か何かだろう。 「そしてそこに居る者はアガレス。汝を呼びに行っている間に寝てしまったのでな。イビキがうるさいと思うが許してやってくれ」  最後にザガンさんがフルメタルさんの紹介をしてくれた。  名前はアガレスさん。  この地鳴りのような音はイビキらしい。 「って寝てんのかい! 始めから!?」  思わず叫んでしまった。  ずっと意識させておいてそれはない。  気を持たせるような事はしないでほしい。  片思いの辛さは万国共通なはずである。 「ゴゴ………ウム? 朝食の時間か?」 「昼過ぎですわ~。それにお食事なら済ませましたでしょう?」  ようやく起きたアガレスさん。  彼の主食が気になるところだが、聞くのが怖いのでシトリーさんとのコントは流させてもらった。  アガレスさんとも改めて自己紹介を交わす。  どうやら人がここに来ること自体が初めてだったらしく、別に取って食おうと言う話ではないらしい。  とりあえず骨の偉大さや美女の美しさ、優しさ、グラマラスさ、フルメタルの鎧や剣のカッコ良さを有らん限り誉めておいた。  皆気を良くしてアガレスさんなんか剣をテーブルに置いて自慢して来た。  良い流れである。  気が変わる前にスムーズにこの場から離脱したいと考える俺。  まずは脱出経路を確保するため、この屋敷の位置関係をそれとなく聞いてみた。  するとザガンさんが少々古いがこの近辺の地図らしきものを見せてくれ、帰り道も教えてくれると言う。  ようやく希望が見えてきた。  明日という日に思いを馳せて、俺の心は弾んでいる。  そんな俺の希望は一瞬で砕かれた。  実は地図など見たことないのである。  ここがどこか等問題ではない……  自分が何処に帰るのかが分からないのだ。  ひとまず落ち着こう、まずここを出るのが最優先だ。  ここから一番近い人間の居る場所を聞くと、どうやら港町があるようだ。  そこまでたどり着く事が目下の目的と言えるだろう。 「町まで行くなら買い出しに付き合って貰いたい。ちょうど色々入り用だったのだ。」  どうやら骨は俺が帰るという選択肢を持っていないようだ。  帰り道を教えてくれる気があるのに帰す気がないとはこれいかに。  とりあえず一宿一飯の恩義もあるのでしぶしぶ了承する事にした。  考えてみれば屋敷から出られても俺一人では迷うだけだし。 「では俺が道案内をしよう、持っていけ」  アガレスさんが名乗りを上げた。  普通ここはシトリーさんだろう?  いやむしろシトリーさんだろう!  ザガンさんは論外だがフルメタルさんも相当目立つ。 「アガレスさんはこう……。勇まし過ぎて目立つ言いますか……。あまり人前にお姿を見せるのはマズイと言いますか……」  俺は悪戯に人間の不振を買わないようにと懸命に説得した。  けしてシトリーさんと並んで歩きたいが為ではない! 「そっちじゃない、こちらだ! 先程から何に話しかけている?」  無反応なフルメタルさんから視線を下げた先、テーブルに置いた剣がカタカタ揺れている。  とてもカッコ良い漆黒の剣。何故かそこから声が聞こえてくるのだ。 「え? 剣なの? アガレスさん剣なの? じゃこの鎧は? なんで鎧座ってたの?」  大混乱な俺の疑問が嵐のように吹き荒れている。  剣が喋っているとかもはやどうでもいい。  なんでこんな紛らわしい事をするのだろう?  そんな俺の疑念にザガンさんが答えてくれた。 「アガレスにはそれを操作して参席して貰ったのだ。その方が絵になるだろう?」  ドヤッとした骨に苛立ちを覚えたが、もう考えてもしょうがないのでアガレスさんを腰に装備して町に繰り出すことにした。  見たことないほどの大量の金貨を渡されたが、出所は聞かない方が良いのだろうな。
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