3日目.人民の、人民による、人民のための何か

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「こんな事もあろうかと、捨てずにクリーニングしておいて良かった」  嫁は満面の笑み。 「こんな事も・・・て」  久麗爺は嫁の言葉を反芻しかけて呑み込んだ。一家の主婦ともあろう者が、宇宙人の侵略を予見していたはずは無い。  さて、久麗爺がお仕着せられたのは、念努と美智の結婚式で着たモーニングであった。年数は経っているが虫食いも無く、体型が変わってないのでピタリと合う。  モーニングスーツにステッキを持つ。かつては紳士のたしなみであった。現代の老人は体を支える杖としてステッキを想像するだろうが、ほんの百年前、道の事情は全く違っていた。ステッキは道に転がる馬糞や犬の糞をポイと除ける道具だった。靴を糞で汚さぬように歩くには必需品だったのだ。男が道をきれいにした後、女たちはスカートを引きずって歩いた。  モーニングにどでかいボロなドタ靴を履き、小さめの山高帽をかぶれば、あのチャップリンの扮装になる。  しかし、嫁が出して着たのはシルクハットだった。もちろん、結婚式でかぶった物である。これにマントと片眼鏡でも着けたらアルセーヌ・ルパンかモリアーティ教授か。  とにかく、帽子を頭に乗せ、玄関へ出た。  外には、右に警官隊、左に自衛隊が列を成していた。これでヒゲをたくわえれば、気分はハルピン駅へ向かう伊藤博文か、観劇へ出かけるエイブラハム・リンカーンだ。  玄関で見送る家族に手を振り、久麗爺は市役所の車に乗った。前後左右を警察と自衛隊の車両が警備して、大名行列な感じになっている。  旭橋を渡り、石狩川を越えた。ごつごつ、リベットだらけの鉄骨構造が、約90年前と言う建造時代を偲ばせる。  右手に護国神社の鳥居と森を見て過ぎれば、いよいよスタルヒン球場である。  球場と道路をはさんでいるのは陸上自衛隊の旭川駐屯地。国道を封鎖して戦車と装甲車を配置、球場を完全警護するに手間は無い。
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