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 壁掛けの油絵たちには、決まって一人の女の人が描かれている。それは私が彼に会う前に描かれたものも含めて同じだった。顔を描かれることのないその人が実在する人物だなんて、考えてみたこともなかった。 「やっていけないのは、俺の方だった。いつの間にか香澄を目で追って、仕事が手につかない始末だ。だから中途半端はやめにしようと思って、ちゃんと向こうに香澄の話をして…」 「絵の中の女は、決まって私を追い詰めるの」  彼が言葉を続けようとしているのを遮って、私はそう言った。 「今、私が可哀想だから戻ってきて、またあの人が可哀想になったら向こうに行くんでしょう。孝文は私の物よ、って笑われてるような気になって、そんな滑稽な自分のためにこの絵も…指輪もずっと外さなかったの」  薄ら笑いすら浮かべながら、目の前の野暮ったい眼鏡姿を見ていた。  あの頃は、ほんとうに悠長だった。いつかに行った食事で、初めて孝文が眼鏡をしてやってきた。珍しい眼鏡姿はお世辞にも格好良くなんかなかったのに、レンズ越しに小さくなった目を見て私は嬉しくなっていた。職場では絶対に見せない、私に見せる野暮ったさが。その野暮ったさがこうも形を変えるなんて、やっぱり思いもしなかった。大切な話をするときに、身なりすら整えられない人。記憶の中の彼は、半年前の、今日まで一緒に過ごしたはずの彼はこんなんじゃなかった。あなたなんかじゃない。     
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