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 その声は、しきりに私にあの時の衝撃を思い起こさせた。あの大雨の日、たった一本電話が入って、孝文の違和感に私はすぐに気が付いた。 「うん、うん。…すぐ行く」  少し相手の話を聞いたあと、孝文がそれだけ言ってすぐに電話を切ったのはおかしなことだった。休日に仕事が急に入るような職場ではなく、付き合いだしてから、こと同棲を始めてからというもの、彼の身近な人間というのはほとんど聞いたことがなかった。忙しなく出掛けていって帰ってきたのは深夜のことで、そのとき彼との付き合いの中で初めて私は彼を問いただしたのだった。 「内縁の、妻がいたんだ」  言いづらそうにそう打ち明ける彼の声が、現実のものとはとても思えなかった。籍を入れなかったのは彼女に連れ子がいたのもあって、お互いの親族や知人との兼ね合いもあったからだとかなんだとか聞いてもいないことを連ねていたが、あまり頭には入ってこなかった。私と出会う前から描かれ続けた点のような女がその彼女だったのか。内縁の妻がいたのなら、一年半同棲してきた私はなんだったのか。 「香澄の様子がおかしいって、課の奴らが話してるのを喫煙室で聞いててさ。ずっと、見てたんだよ、仕事中」  半年前にトリップしていた頭を、孝文の肉声が遮った。     
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