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私と同じようにしゃがみ込んで、私の顔を覗き込むようにしているのは間違いなく香坂さんなのに。
まさか彼が現れるとは思ってもみなかった私は、幻なんじゃないかとさえ思った。
「…っこ、さか、さ…っ、」
「いいから、ちょっと落ち着け」
名前を呼ぶのもままならない私に「もう叫ぶなよ」と釘を刺すかのように冷たい声で言うこの人は、幻でもなんでもなく、やっぱり香坂さんだった。
さっきまで恐怖で溢れていた涙は安堵のものに変わり、あんなに気持ち悪く感じた私の手首を掴む大きな手は、温かいものへと温度を付けていく。
掴まれていない方の手で、もう無意識にも近いそれで私は香坂さんのスーツの裾をギュっと握った。
「…っ助けて…っ、」
そして次の瞬間に私の口から嗚咽とともに飛び出してきた言葉は、今まで一度も誰にも言ったことのない言葉だった。
どんなに苦しくても、どんなに寂しくても、どんなに虚しくても、一度だって言ったことのなかった言葉が、いとも簡単にポロリと零れ落ちた。
この状況だからなのか、それとも相手が彼だからなのか。
そんなことを考える余裕はこの時の私には持ち合わせていなかった。
「…何があった?」
ボロボロと涙を流す私に、静かにそう問いかける香坂さんの声がいつもよりも優しいものに聞こえて、それが余計に涙腺を壊していく。
「だ、れかに…っ、つけられ…っ、」
止め処なく溢れてくる涙と飛び出してくる嗚咽が邪魔をして、上手く言葉が紡げない。
けれど香坂さんは落ち着いた様子で「家は?知られたのか?」と問いかけてくる。
その問いに、否定の意味を込めてふるふると首を横に振った。
私の拙い言葉も簡単に掬い上げてくれるこの人は、やっぱり人の心が読めるんじゃないかと思った。
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