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時間が止まったかのように、お互いに何も言葉を発することなく視線を絡ませていた。
私をじっと見つめるその瞳は、“私”というフィルターを通して、その女を見ているのだろうか。
そんなことを頭の隅で考えていると、スッと伸びてきた大きな手。
不思議に思うことも驚くこともなく、その大きな手の行方を視線で追っているだけの自分に驚いた。
ナンパしてきた男の人の手が伸びてきたときは嫌悪と恐怖が一気に襲いかかってきたのに。
なのに、今の私は拒むどころかまるでそれを受け入れるようにただ見つめていた。
そしてその手は――…私の頬に触れる寸前でピタリと止まった。
あと少しで私の肌に触れそうだった骨ばった指は、無意味に宙を掴む。
ポツンと灯る街灯にぼんやりと照らされた香坂さんは、“切ない”という形容詞がよく似合うような表情を浮かべていた。
「…じゃーな」
ゆっくりと戻っていった手。
少しの沈黙の後、香坂さんは素っ気なく一言そう告げるとすぐに踵を返した。
私に触れようとしたあの手は、“私”の面影の中にいる、その女に触れようとしていたのだろうか。
そう思わずにはいられなかった。
大きな背中が向かいの高層マンションへと消えていくその瞬間まで、私は目を離すことができずにいた。
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