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3.
日に日に街が水没してゆく。今年はどこまで行くだろう。
長靴を履いて、脛までの水の中会社へ向かう。明日は恐らく休みだろう。雨が膝丈を超えたら出勤停止なのだ。
ところどころ濡れて色を変えた服で建物に入り、ロッカーに置いたパンプスに履き替える。この季節はみんなそうしている。ロッカールームには湿った臭いがこもっている。うまく換気されていないが、改善される予定もない。ロッカーに入れた長靴は、きっと帰りに履くころもまだ湿っているだろう。
昼休みになると午後の帰宅命令と明日からの休みを告げられる。
訪れた休みに浮かれる声と、残務処理の慌ただしさが入り交じった空気。大した仕事も抱えていない私は帰り支度をしていると、鞄の中で電話が鳴る。知らない番号だ。
「沢畑を探しているのはあなたですか。」
隙のない声。宝石店の入り口にでも立っていそうな。この雨でも癖が出ていなそうな、元々癖なんてつかない髪を持っていそうな、しわのついたズボンなんて履いたこともなさそうな声。私が何も言わないでいると、
「この番号にかければつながることはわかりましたので。」
そう言って電話は切れた。十三秒。非通知ではなかった。
また少し深さを増した水を漕いで家に帰り、タオルで体を拭きながらリダイヤルしてみる。発信音の後、留守番電話に切り替わる。通話終了ボタンを押す。
この人は沢畑のことを知っている。きっと今、沢畑がどこにいるのかも。
風雨は日に日に勢いを増している。ここのところ、バジルはずっと部屋の中だ。
いつもの番号に電話をかける。赤い通話終了ボタンを押す。
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