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スクリーンはたった一つ。チケット売り場の受け付けも一つだけ。チケット売り場の窓に劇場グッズなどの販売リストが貼ってあって、ほしいものがあれば、チケットを買う時、受付のおばちゃんに頼む。チケットもぎりの係員もいなければ、劇場内にいるポップコーンやらナチョスを薦める係員も、上映中の注意事項を大声で話す係員もいない。静かで映画に集中できる空間。それが彼の知っている映画館の姿だった。
しかし、スクリーン一つの映画館がつぶれた後、彼の近くにできた映画館、そしてそのほか彼が夏休みなどで観に行く映画館は、その「当たり前」の概念を全て覆してしまった。
大きなスクリーン。それが幾つもの部屋に配置され、作品の人気によって大きいスクリーン、小さいスクリーンと振り分けられる。椅子の数も、それこそミュージカルでもやるかのような数が並んでいる。売店とチケット売り場は別だし、チケットもぎりの係員もいる。スクリーンで映画本編をやる寸前に、散々上映中のマナーについての注意事項を説明するCMを流して観客を焦らす癖に、劇場内でスタッフがわざわざご丁寧にそれとは別に口頭で繰り返し説明してくれるところまである。
しかし、彼自身もその映画館に次第と慣れていき、いつしか小さくて古ぼけた映画館の存在があったということすら忘れてしまっていた。彼がその小さな存在を思い出したのは、その映画館で観た作品をテレビで見たからだった。それを見て、彼は記憶の隅に引っ込んでしまっていたその存在を思い出し、そしてそれにまつわる小さな噂を、思い出したのだった。
こうして彼は今、噂の真夜中の映画館を訪れるべく閑散として冷たいシャッターの降りたスーパーの二階の前にいる。古くて小さな映画館に、そしてその映画館で作品を再び見たくて。彼は握りしめていたペンをくるり、と一回転させて、あの思い出の作品の名前を綴った。そして、その紙をしばし見つめたあと、箱の中に放り込んだ。そうして、祈るようにしてゆっくりと箱のふたを閉じた。するとスーパーに取り付けられているスピーカーから声が聞こえてきた。
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