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 ここで不意に、燕雨もひどく、混乱してしまった。  汐音から分けられていたのは、「力」であり「命」だ。けれどそれは、翼だけの話だっただろうか。そんなに普段、燕雨は汐音の翼を使っていただろうか。  燕雨の身の内には確かに、過去に奪った翼が納められている。それでもこれまで、燕雨に力を与えていたのは、何か他のもののような気がしてならず……。  汐音は水葵の反応に、一瞬、虚を突かれたような顔をしていた。  しかし、悪魔もヒトも裁く鋭い蒼眸を持つ死神は、ある決定的なおかしさを見逃さなかった。 「オレのこと……『翼槞』って、呼んだ? ……ナギ」 「?」 「お前さ、今日は、何処からここに来た? やっぱり、橘診療所?」 「それはやむなくです。私自身には敵地とはいえ、わざわざ別ルートを造る、異次元移動の手間をかけなくても良いでしょう」 「そっか……そーいう、ことか……」  燕雨とはまた違った、現状に対する勘の良さを汐音は持っている。汐音の言葉に対する、水葵の純粋な惑いの様子だけで、何かの異状の根幹を掴んだようだった。 「多分、そこで、混線してる……だからアイツは、オレを殺し切れずに……燕雨からも、手を引くしかなかった、のか……」  ぎり、と。汐音が穴をあけそうなほど、床についた手に力を入れた痛みが、燕雨にふっと伝わってきた。  「橘診療所」とは、ツバメの故郷とこの世界だけでなく、数多の異次元を繋ぐ中継地点だ。橘ナギはその院長の伴侶であり、そこを通ることに、何のためらいも必要ないはずなのだ。  そして、氷輪翼槞に対して院長が新たにつけた「汐音」の名前を、「ナギ」が知らないはずもなかった。
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