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 まだ状況がわからない燕雨を、「神」の悪戯たる時雨が呆れたように両腕を組んで見下げる。 「アンタは卑怯だよ。自分の望みのくせに、(オレ)に叶えさせようとする。アンタが自分でなく、(誰か)の望みを叶えたいと願ってきたように」 「…………」 「鶫も猫羽も、アンタにやるよ。でも汐音だけは、オレがもらうよ」  この期に及んでも、いったい何の欠落があるのか……汐音が誰なのか、燕雨にははっきり思い出せなかった。  ただそれを、時雨が必要として、燕雨の元から持ち去ろうとしていることだけはわかる。  それだけわかれば、燕雨にとっては、もう言うことは一つしかなかった。 「…………」  それでいいのか、確証はない。それでも燕雨にできることは、現在「燕雨」として歩んできた、自分自身の世界――  燕雨であるままで、燕雨ができることをすること。それはどこでも、どんな世界の自分でも、きっと変わらないはずだった。 「……連れていくなら……大事にしろよ」  重々しく、それでもあっさりと、燕雨は言い切った。  時雨は虚をつかれたように、闇に光る金色の目を見開いている。 「……ふぅん。いいね、アンタは……今現在、満たされているからこその、その余裕ぶり」 「…………」 「そんな幸せ、長くは続かないって、誰より知ってるくせに。こともあろうに、まさかオレに――情けをかけてくれるなんてね」  たとえば時雨が、先程の言葉通りに、燕雨の幸せを願うことは有り得なさそうに思えた。  燕雨も時雨の幸せを願うかと言われれば、何とも言えない。ただ、この場で、誰にも大きな痛みを残したくなかった。  それがきっと、欠けてしまった何かの願いなのだろうと。
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