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この世界の外とは、悪魔の故郷とも違う世界の間隙で、「神」の軸と呼ばれている。
「神」という幻想――概念こそが存在の礎となる高次世界では、ただの不完全な一人格に過ぎない「汐音」も、おそらく自らの形をとることができる。
――でもオレは……神様に、救ってはいらないんだ。
「汐音」がどうしたかったのか、悪魔には本当のところ、わかっていない。
けれど、還る場所がなくなれば哀しむだろう。既に死者として完結していた悪魔の中で、たった一つの可能性の光が、天使が残した羽から生まれた「汐音」だった。
「見よ、おとめが身ごもり……その名をインマヌエルと呼ぶ、か……」
もたれる祭壇に刻まれた十字架から、悪魔の背中に確かな冷たさが伝わってくる。最近習った聖書の一節で、翼を持つ神子をそう呼ぶと聴いて、「汐音」にその名をつけかけてやめた。
翼とは神が特別な使徒に与える「力」で、命の依り代ともなる。地上に落ちてしまった全てのヒトを、いつか遠い天上に帰すための温情の徴。それこそが翼の意味なのだと、聖なる力を持つ悪魔は知っていた。
いくつもの翼を抱えるこの背にも、生やすことはできなかった天使の羽。預かり続けていた羽を、いつか天使に還す日を悪魔は待っていたが、それを自身の心臓に遷し、「汐音」の基板とすることに決めたのは、他ならぬ「鍵」と悪魔が出会ったからだ。
そうして「鍵」に「汐音」が奪われたのは、悪魔にとっては、当たり前だと笑う結果でしかない。
「汐音」の存在は、「鍵」を「鍵」として求め、繋ぎ止めるための楔。何も求められない無情な悪魔に、足りないものを補うように、都合良く造られた心なのだから。
「誰がおとめで……誰がインマヌエルだったのやら、ね……」
ステンドグラスから少しずつ差し込んできた、悪魔を浄めんとする大自然の光。
灼かれていく自らの影を感じながら、まだ消え残る悪魔の耳には、その運命の足音が小さく届いていた――
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