6人が本棚に入れています
本棚に追加
「わたしは橘桃花の影だから。咲杳が具現するわたしはそれしかいない。シグレと関わるのは、咲姫が守る方の光の娘」
「……さっぱりわかんねーけど、あんたはオレが好きって言ってるって。そう思っていいわけ?」
そこでじっと顔を上げて、無表情のまま狼少女が彼を見つめる。否定の色は清々しいほどに皆無で、純粋に彼の誤解を解きにここに来たとわかった。
ちょうど「天龍」が雲海に入った。薄暗い真っ白な世界の中では目立つ、黒い狼少女は僅かに肩を震わせていた。
「今、シグレのふりをしてる炯に咲杳は気付いてる。シグレと鴉夜を会わせないで……烙人」
「……?」
「お願い。シグレに……炯に関わらないで。『悪神』は炯を利用して、鴉夜を壊す。神竜の後ろにも『悪神』がいる……咲杳を駆り立ててるのは鴉夜」
流暢だった以前と違い、舌足らずに紡がれる言葉は、どれも彼には意味がわからないものだ。それでも彼は、狼少女が彼の身を案じている気配だけは強く感じ取っていた。
「変えられないって、わかってるけど……でも、いなくならないで……」
彼だけを映して澱む真っ黒な目。下ろされた髪も悲しげな表情も、素直な口調も以前の狼女とは似ても似つかない。それなのにますます惹き込まれていく。
心臓は苦しく締め付けられているのに、赤の鼓動は大人しくしている。彼が何かに心を動かす度に、この身を脅かしてきた憎悪なのに。
そうか――と、彼は、真っ白な空の中で悟る。
この少女をこそ、彼も探していたのかもしれない。際限のない赤に侵され、蒼や紫に染まる前の、青だった頃の静かな彼が。
だからこそ、かの「悪神」のささやきに、彼も抗うことはできなかった。
「悪神」に動かされていると知らない黒い鳥――秩序の管理者、橘鴉夜。
「サクラが消えれば、トウカも消える。あたしはサキを起こすためにも、それをしなければいけないの、竜牙烙人」
不秩序な「天龍」を沈める布石で、鴉夜は彼に誘いをかける。
最初のコメントを投稿しよう!