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澄良はかつて日本の中心であった『東京』で生まれた。
澄良が生まれる何十年も前から、首都は中枢機能の一部を北海道へ移し始めていた。国会議事堂、大企業、官僚組織の中枢部は異様な気候と災害を避けるため、21世紀半ば頃から次々と移転をはじめた。
当時、首都遷都の議論が盛んに行われたが、財政難と都民の強い反対とが相まって、中枢機能の一部のみを北海道へ移転することに決まった。多くの労働者とその家族を抱える東京の街から、すべての機能を移動させるのは不可能という結論だった。残された『首都』東京では、夏は酷暑と突発的豪雨、冬は寒波、また季節を問わない竜巻などの異常気象に襲われながら、ほとんどの労働者が以前と同じように働いていた。
日本列島のほぼすべてで異常気象が日常となった時代、人々は自らの感覚を鈍麻させてしまった。
『みんな大変なのだから、仕方ない』
そんな声が街中にあふれていた。
事態の深刻さを一部の専門家達が訴えたが、耳を貸す者はほとんどいなかった。
人々は、自分達のみ条件の良い土地へ避難した『上層部』に怒りを表したが、結局日々の生活に追われ、そのまま働き続ける者が多かった。
“あの”大震災が起こるまでは、人々はなんとかなると思っていた。
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