吉野 明日香

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「な、なに?」  何かが落ちたような音だった。二人で見に行くと、靴を置いてあるタイル敷きの真ん中にガラスの破片が飛び散っている。 「随分派手に落ちたな……」  写真立てが落ちたのだ。壁の一部をくぼませた、物を置けるスペースに飾ってあった。 「安定悪かったのかな?」  そろりと手を伸ばす。三人の家族写真だ。花見に行った際に桜の木の前で撮ったもので、真ん中のきららに顔を寄せるように、私たち夫婦が寄り添っている。気を付けていたはずなのに、拾い上げた瞬間痛みが走った。 「痛っ……」  再び落ちた写真の顔に、ぱたぱたと私の血が落ちる。偶然にも三人の顔が濃い赤に塗りつぶされた。私の口が、血の下で嬉しそうに笑っている。 「大丈夫か? ここは俺がやるから、手当てして来いよ」  傷薬は、確かまだ段ボールの中に入っていたはずだ。強く押さえながらリビングに戻る。ドアを開けると、若草色のソファからきららが身を起こしたところだった。 「ママ、それなにー?」 「手を怪我しちゃったの。でも大丈夫だからね」 「でも、おててはあるよ」  真剣な表情のきららに笑みがこぼれる。 「切っちゃったけど、なくなっちゃったわけじゃないよ。少し血が出ただけ」 「違うのぉ」  もどかしそうに唇を尖らせ、きららが指をさした。 「ママじゃなくて、うしろの人」 「……え?」  振り向くが、誰もいない。当然だ。夫は玄関で掃除をしているのだから。 「でも、血が出てるのはいっしょだねえ」  あどけない笑みを浮かべて私を見続ける。 いや、多分……私の後ろを。 「……そんな人、いないよ」  うすら寒さを感じながら段ボール箱を片手で開ける。寝ぼけているのだろう。まだ夢の続きを見ているのだ。 「せっかく起きたし歯を磨いちゃおっか。今日はパパに仕上げ磨きしてもらおうね」  薬と絆創膏を探しながら話しかける。寝起きの割には珍しく大人しい。よほどいい夢でも見ていたのだろうかと、そっと娘を盗み見る。  心臓がはねた。  きららは、先ほどまで私が立っていたところを凝視していたのだ。
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