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翌朝は雨だった。
ケイは会社に行ったが、きららは幼稚園を休ませてある。引っ越し疲れが出るだろうと思ってのことだが、予想に反して元気だった。八時過ぎに自分から目を覚まし、テーブルで、大人の椅子に立ち膝で乗りながらお絵かきをしている。可愛い物が大好きで、いつも色とりどりのハートや猫を描いていた。
手袋をはめて食器を洗いながら、昨日のことを考える。
家族写真は綺麗に拭いたものの、血の跡が残ってしまった。仕方ないのでアルバムからほかの写真を見繕い、別の写真立てに入れて再び飾った。せっかく気に入っていた写真だったのに。
「これ片付けていいかな? お茶もう飲まない?」
テーブルに歩み寄り、置かれたピンクのマグカップを指す。集中しているらしく、きららは顔を上げなかった。見るともなく絵が目に入る。
「なに描いてるの……?」
黒い人型だ。いびつな頭部から胴らしきものが生え、そこからぐにゃりとした手足が垂れている。手足だと思ったのは四本あるからだ。けれどそれらは膨れ、ねじ曲がって、ぶよぶよとしている。幼児ならではの拙さがかえって不気味に思えた。
「……ねえ、これなあに?」
「わかんない」
「こういうの好きなの……?」
今度は紫のクレヨンを取った。ぐしゃぐしゃと塗りつぶすと、全身がうっ血したような色に染まる。それでも描く手は止まらなかった。手が白くなるまで握りしめ、執拗に往復を繰り返している。
「きらら、やめて」
紙を擦る音は次第に速まり、狂騒的になっていく。手も足も紫に掻き消された。ごりごりと骨を削るような音が止まらない。
ついに画用紙が破れた。紫の人型は干からびた音を立て、首と胴体とを切断される。
「やめなさい!」
思わず手を掴んだ。びっくりしたように娘が見返す。その瞬間――
鼓膜を打つ、固い破裂音がした。
ひゅっと喉の奥が鳴る。玄関の方からだった。
きららを掴む手が震える。
恐れに近い予感は、当たっていた。
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