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あわいきもち
あの日から俺は人が変わったようにあのバス停留所に通うようになった。
彼女に会いたいがために。毎日、毎日、同じ時間に。
1週間たった頃、彼女が現れた。
奇しくも小雨の日。現金にも彼女のことで夢は見なくなった。
ステッキの微かな音。それさえも彼女の一部のような気がして覚えている。
彼女に気がついてもらえるように、恰も今気がついて振り向きました感を出して1歩踏み出す。
「あれ? 君はあの時の……」
ステッキの音が数歩前で止まる。
「え? ……ああ! その節はありがとうございました」
焦点の定まらない瞳で俺に向かって笑い、綺麗なお辞儀をされた。
俺の心臓はうるさいくらい響いている。
彼女に聞こえたら恥ずかしい。
「いえ、当たり前のことですよ」
テンプレートな返事しか浮かばない。
もっと何かないか。焦って言葉を探しているとくすりと笑われた。
「お暇でしたら、座ってお話しませんか? 」
逆に彼女から誘われてしまった。
「は、はい! 」
並んでベンチに座る。きっかり一人分空けて。
そして、徐に彼女から口を開いた。
「私の目、事故で見えなくなったんです」
事故と聞いて固まる。忘れてはいない。絶望の中の光のような彼女に固執して、一時の安らぎを得ようとしていた。
ひとたび思い出すと、罪悪感と目の前の幸せに挟まれ、心臓が痛い。
「それは……大変でしたね」
絞り出すように労う。
「ええ、思い出せないんですけどね。どう事故にあったかも、何故自分がそこにいたかも」
「記憶喪失……ですか? 」
俯きながら黙り込む。
「どうなんでしょう? ……その日の記憶だけないんです。《10年前》のあの日だけ」
10年前と言われ、もしかしたら、いやただの偶然だ。そう思い、鳴り止まない心臓を押さえつけた。
長い沈黙が流れた。
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