第1章

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 「元気だった?」  「元気だった……けど」  スタビンズはこぶしを口にあてた。  「けど?」  あたしはイスから立って、スタビンズに顔を近づけた。  彼は、にっと笑った。  「ちょっと太ったかな。結婚して、今は一児のおとうさんだそうだ」  力が抜けて、イスにへなへな腰を下ろした。  「はは、は」  テーブルにひじをついて、力なくわらう。  「がっかりした?」  スタビンズの声はずいぶん遠くに聞こえる。  「うん。だって、あれがあたしの……」  あたしは目頭に薬指をあてた。  「初恋だったんだもん」  「マジでか」  鼻の奥がつんつんする。  「クリスマスイブに告白しようとしたんだ。『あたしが大人になったら、お嫁さんにしてください』って。いえなかったけど」  顔をおさえて、しばらくテーブルにひじをついていた。  悲しくはない。  よかったって、思えるまでちょっと時間がかかっただけだ。  「じゃあさ、じゃあさ」  がたがたイスを動かして、スタビンズが近づいた。  「代わりに、おれで、どう?」  あたしは顔を上げた。  スタビンズは自分の鼻を、ぎゅうぎゅう指さしている。  我慢できずに、あたしは笑いだした。  笑いすぎて涙が出た。  そろそろほかのお客さんが入ってくるだろう。図書館の中であんまり大きな声は出せない。必死で口をおさえる。  スタビンズはイスから下りて、あたしの前にひざまずく。  「でね、うつみさんと、犬上さんを開幕戦に招待したんだけど……君もいかがですか?」  さっとチケットを差し出した。  「残念ながら、おれは同席できない」  とまどいながらも受け取る。  「ありがとう。でもどうして?」  スタビンズはあたしの耳元に口を寄せ、ささやいた。  「だって、そのときおれは、マウンドの上にいるはずだから……これ、トップシークレットだぜ」  あたしは顔を離し、首をかしげる。  「ごめん、スタビンズ。悪いけど、あたしそんなに野球のことわかんないんだ。でも、みんなと会えるなら、すっごくうれしいな」  スタビンズ、さっきからなんだか元気がない。床に座りこんで大きなため息をついていたが、やっと顔を上げた。  「さてと。さっさと借りを返しちまおう」  あたしはチケットをにぎりしめる。  「もう、じゅうぶんだよう。これ、高いんでしょ?」  スタビンズは首を横に振る。
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