カルテ9 深大寺

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「ありがとう……ありがとう……」  一人で突っ走って行く、そんな覚悟は出来ていた。 仕事を犠牲にする結婚なんて、いらないって思ったの。 玲さんに別れを告げた時、わたしは一人で出来る、って男になんて頼らない、って決めたの。 祖母と母を見て育ったわたしには、女一人で生きていく事になんの躊躇いも無かったから。  そして、それ以上に働きたかったの。 このままずっとこの仕事を、誰かの為に、これから出会って行くであろう色んな人の為の仕事を、続けたかったの。  でも、突っ張ったままの人間は、いつかポキッと折れて――。  わたしの頭にフワッと柔らかな手の感触があった。 顔を上げると、向いに座る緒方君はわたしの方へ手を伸ばして、頭を撫でてくれていた。 「仕事で、何かあった?」  澄んだ、綺麗な瞳がわたしを見つめる。 言葉も声も、春の木漏れ日のよう。 わたしは小さく頷いた。 「わたしの前に、壁が、冷たい現実が、立ちはだかって、身動きが取れなくなりそうで、怖くなったの」  昔の恋人が、という話しは出来なかった。 今緒方君には、これしか言えない。 でも緒方君は静かに、黙って聞いてくれていた。
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