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第1章から第4章まで
【第1章 乱法師】
志野焼きは後世の呼び名みたいですが。
ビスカウト(ビスケット)が金山で食べられたかは分かりませんが、この時代にはあったようです。
『小姓役として森家家臣、武藤兼友の伜三郎、甲賀忍者の伴家の縁者、伴与左衛門であった。』
武藤兼友はいましたが倅の三郎は嘘。
伴家と仲良しだったのは本当でも、与左衛門なんていません。
木曽川は蘭丸の死後、二年後に大洪水で現在の形に変わったそうです。
中仙道を安土に向かう方法もありますが、金山からなら木曽川を下った方がスムーズかなと思いました。
実際は河で行ったのかは知りません。
【第2章 初夜】
どんな風に二人の愛が始まったかは分かりません。
蘭丸の初出仕の年が天正5年と天正7年説二つありますが、普通に考えれば天正五年だと思います。
その根拠は「第6章 初陣」で塩河伯耆守に対する使者の役を務めたのが7年なので、出仕したばかりの小姓が大事な使者をやるとは考えにくいからです。
2章で登場する万見仙千代重元さんは生年未詳扱いですが、没年齢31歳記述が一次史料の写し(五師職方日記抄)にあるようです。
万見の討死について同じ史料に「いちだん信長殿儀よしにて」と書かれているかと。
これは信を置く人など色々な解釈が出来ますが引っくるめて寵臣といった感じかな。
他に寵男とも記されてますが、他の例と比較すると男色相手という意味では無く寵臣という意味にしか解釈出来ません。
男色の愛人を指す言葉に「男」は使いませんし、他の人物の例では「男色のことによって寵男」と「男色のことによって」とわざわざ付け加えてるので、寵男だけだと単なる寵臣という意味にしか取れません。
男色の愛人を指すのは「寵童」や「若衆」が基本です。
昔の男色は成人相手ではなく少年愛ですから。
「儀」を葬儀に関わる「お悔やみ」とも解釈出来なくはないです。
光秀の義妹が亡くなった時にも使われてるので。
いちだん信長殿お悔やみの由という意味ではないか。
八切止夫という奇抜なフィクション作家のみが彼を美形だったと訴えていますが、美形とか信長と男色にあったなどの記述は特に史料、俗説二次史料等や男色風俗を取り上げている本にさえ見当たら無いので八切の完全創作と妄想と思います。
色んな美少年エピソードを詰め込んで八切が創作した即席インスタント美形が万見で、僕にだってこんなに簡単に美少年は作れちゃうんですよと言ったところでしょう。
八切の説は殆んどお遊びの歴史フィクションなので。
史実では「地味な人物」という印象ですが、小説内では少し盛って、そういう雰囲気の設定で書いてます。
蘭丸の前任者といえる人物ですが、私は彼の墓の場所や戒名も見た事がありません。
普通、ネット検索すれば出てきそうなんですが謎です。
神子田長門守の息子と武家事記にはあります。
年齢は仙千代という字から、31歳より若かったのではと思う人もいるようですが、幼名をその儘元服後にも使う人結構いますので、小説内では記述にある通り享年31歳として書いてます。
身分は馬廻り衆なので、最終的には小姓ではないです。
重元の重は信忠(信長の嫡男)の前の名乗りから取っているとかいう説もありますが記述にある訳ではありませんので不明。
死亡時に特別若ければ年齢記述あると思いますが、五師職方日記抄の31歳以外は無いので二十歳は最低でも越えてると思います。
側近の方々の仕事振りは記録に残っていて、任されている仕事内容を見る限りだと堀よりは若いけど、少なくとも長谷川より年上という印象です。
取り敢えず、有能な側近で信長に信頼されてたのは確かだけど、年齢も定まらない不思議な人です。
万見の息子らしき人物の記述が、彼の死後信長公記にあって、信長から知行を貰ってます。
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