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コツ、コツと履き慣れないヒールの音を確かめながら進むけれど、誰にも気づかれなかった。
...いや、視線はかんじるけれど、気にならない。
それは私が普通の社員になったからなのか、異様な別物なのか。どちらにせよ、以前のような粘着質タイプでないだけマシである。
「ねえ、そのイヤリングいいね」
イヤリング?
「でしょ。彼氏からのプレゼント」
「いいなー」
立ち止まって、そっと耳たぶに触れる。何もついていない、まっさらな状態。
基礎的な化粧はしているものの、そのあたりに関しては全く縁がなかった。今度給料が入ったら見に行ってみようか。
ここまで考えて、まだ昼食を摂れていないことに気づき、駆け足で職場に戻ることにした。
本格的に勤務をはじめてから1週間が経ったものの、広いオフィスに友人と言える人間はいない。所属していたチームの人間はオフィスにやって来るものの、1年の大半を競技に費やしているため、顔を合わせることもなくなった。
「お昼、食べましたか?」
「......」
ほら、まただ。
付箋を貼り付けたそれは一見会議資料のようだが、ネットニュースをご丁寧に印刷したらしい。先日までは週刊誌だったが、発売前なのか早くもネタ切れのようだ。
『氷の女王様は裸の女王様』 『普通の女の子になりたい 如月哀花の野望』
犯人はわからないが、こうして一瞥してゴミ箱に捨てられるだけで面白味を感じられるつまらない人間もいるらしい。
「いいよな、一芸入社」
初めて耳に感じた振動に、思わず立ち止まる。
「わかる。やめたら、『普通に雇ってくださーい』、だろ?」
見渡すと負けだ。ギリギリのところで、顔を上げる。進め、足。
「マジメに就活した俺たちがバカみたいじゃん」
あと、5メートル。
「何でもできる人ってさ、適材適所って言葉もわかんねーんだよ。かわいそうに」
シュレッダーから出てくる紙くずを眺めて、気づいた。ここも同じ。
要らなくなったら、捨てて、それっきり。
寒気をこらえながら、太ももを打つ。
誰も、この姿に気づきませんように。
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