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俺は更に慎重に音が響かないようつま先立ちで階段を降り、トイレのドアの前まで来るとドアに耳を当てるようにして中の様子を探った。
するとトイレの水を流す音が聞こえた。「俺」が中にいるようだ。
もし中にいるのが本当に「俺」であれば、「俺」はいつもトイレは二回流す。息を潜めていると中の「俺」がレバーに手をかけて二回目の水を流そうとする気配が感じられる。
「まずい!」
俺はあわてて玄関のほうへ走ると、手にぶら下げた靴も履かずにそのまま外へ飛び出そうとしたが、そこで思いとどまった。ここがもし本当に叔母の家で、まさか本当に五年前のことなのだとしたら、玄関の前は巣鴨のにぎやかな商店街で、となり近所の店のおばあちゃんたちがすぐ気がつくはずだ。もちろんこの身なりだと「俺」とは認識できず、泥棒か何かだと思われることだろう。
二回目のトイレを流す音が聞こえた。俺は居間に置いてある胸ぐらいの高さの食器棚の上に置かれた小さな三段の小物入れの二段目を開けた。玄関とトイレとは逆のほうにある台所脇の裏口の鍵のスペアキーがあった。裏口から出れば、このあたりは妙にごちゃごちゃしていて人目につくこともないのだ。このスペアキーがここにあるのは知っていたが別に叔母も「俺」も普段使っているようなものではない。
急いで一本スペアキーを拝借したとき、上機嫌の「俺」がトイレから出てくる音が聞こえた。俺は間一髪裏口を開けて靴下のまま外に出た。
「あいてて」手入れをしていない猫の額のように細い裏庭には雑草が生い茂り靴下越しにとげのある何かの雑草の茎がちくちくとささった。
あわてて手に持っていた靴を、音がしないように静かに地面に置いてつま先を引っ掛ける。
「こんな馬鹿なことがあるだろうか、一体どうしちゃったんだ、俺」
アルミサッシの裏口ドアに耳をあて、中の様子をうかがうと、中の「俺」はトイレから出て何も疑わず階段を上がり、部屋に戻っていったようだ。
これが五年前の俺の生活そのままなのであれば、この後、「俺」はあの何日も洗ってないチノパンツに履き替えて、いつもそれしか着ていない黒いポロシャツに着替えて大学に出て行くはずだ。
俺は急いで裏口の中庭とつながっている下町特有のごちゃごちゃした家の間のわき道をすり抜け、何とか別の家の横から表の商店街へと誰にも見られず出た。
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