第四話  龍の洞窟

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 父の古い友人の一人だった男。  だが、太平洋戦争で父を失っていた吟麗には敵にしか見えなかった。最初から敵意を感じたものだ。  吟麗がその男に会ったのは、戦争が終わって十年が経った頃だ。祖父に連れられて初めて訪れた香港でだった。  当時はまだイギリスの植民地だった香港は、東洋の真珠と謳われる摩訶不思議な街だった。  まだ十五歳の少女だった吟麗は、空港に降り立った瞬間に、そこを特別な場所だと認識した。  公用語は広東語と英語。  共産圏の中にありながら、そこだけは自由にモノが言える不思議な場所だった。毛沢東の治める中華人民共和国を追われ、今では国外に移ってしまった中国人の豪商たち。 だがその街には数多くの豪商がひしめき合い、今でも活き活きと商売をして居る。高台の高級住宅街には、豪壮な彼らの邸宅が建ち並ぶ。  まったく摩訶不思議な街だ。  活気に満ち溢れた表の顔と、魔窟から漂い出る脂ぎった危ない臭いが混ざり合い、金と欲望の匂い、そして妖気までが街には漂っている。  その街で少女の吟麗は、香港マフィアを牛耳る李賢人と名乗る老人に出逢った。その李賢人を父は懐かしそうに、「柳原大尉」と呼ぶ。  父が言うには。  太平洋戦争中、彼は広東軍として上海に駐留し「柳原大尉」と呼ばれていたらしい。やがてすべてを捨てて、上海ギャングの庇護を受けて香港に流れ着いた。  その頃の彼を、祖父は知っている。香港の闇に生きる為に、日本名を捨てた男だと教えてくれた。  二人の老人は、親愛の情を込めて抱き合った。  それはロサンゼルスの裏社会に厳然たる力を持つ楊家の当主と、香港マフィアを牛耳る男が互いに手を取り合っている証でもある。  だが側に佇むまだ十五歳の少女を見た老人の眼に、驚愕の表情が浮かんだ。  老人はまるで眩しいものを見るように吟麗を見つめて、呟いたのだ。  「鈴麗さま」  拱手して、吟麗の前にぬかずくと。  「降臨をお待ち申しておりました」、奴婢のように這いつくばって、恭しく礼を尽くしたのである。  「コイツ、何の積もりだ」  驚くよりも、苛立った。  吟麗は楊家の跡取り娘として育った。やがては楊家の当主になり、ひいてはロサンゼルスの裏社会を牛耳る女帝になる身だと言う強い矜持がある。中国人だと言う誇りも、たっぷりと持っている。  不敬にも中国人を名乗っている、もと日本軍の犬に舐められる謂れはない。  青筋が浮くほど苛立ったから、そのまま目の前の爺ィに敵意の感情をぶつけて遣った。  「この裏切り者の爺ィが。どの面下げて我が前に出たのじゃッ」  ついでに、一蹴りを喰らわせる。  後ろに吹っ飛んだ李賢人が、「ああぁ」と妙な感激の声を洩らした。  「お許しを、鈴麗さま」、又しても、爺ィが鈴麗の名前を口にした。  「鈴麗と言うのは、誰だ!」  吟麗が厳しい声て問い詰める。  「アナタ様の遠いご先祖で御座います。ワタシの先祖がお仕えしておりました」  そこで李賢人を名乗る老人が、はるか唐の時代に遡る話を始めた。  吟麗と祖父の趙雲は、楊家の先祖が出て来る辺りからその酷く眉唾な話にうんざりした。趙雲に至っては、広東軍の卑劣な諜報活動とその遣り口をさんざん見て来た経緯がある。  ましてや、その話しをして居る李賢人が、どれほど剣呑な男か嫌と言うほど知っているのだ。  「何の積もりだ」と、妖しんだ。  二人のそんな様子には一向にお構いなく、独り言のように話し続ける李賢人。  掻い摘んで言うなら・・  唐時代に生きた楊鈴麗という女が、今の楊家の基だと賢人は言う。つまりは初代の当主だ。  その楊家と不倶戴天の関係にあった厳家。  厳家の襲撃を受け、鈴麗は深手を負った。鈴麗の死を見届けた後で、敵の容赦ない追手を振り切って日本に逃げた部下が李賢人の先祖だと言う事らしい。  「先祖が書き記した古い家伝書に、書き記されておりました」  「いつの日か、鈴麗さまが生まれ変わる日が来たら、お返しするようにと。先祖代々いい継がれて来たのです」  驚く様なことを言う李賢人。  だが・・ソレは真実を盛り込んだ真っ赤な嘘。  何処からが嘘かと言えば、李賢人が子孫だと言うあたりだ。子孫だったのは広東軍にいた頃、彼の部下だった男だ。  部下は上海でしくじりを演じた所為で、特殊部隊に左遷されてきた。婚約者を上海租界の豪商・厳恒輝に横取りされ、誇りを傷つけられた男は、厳家の蘇州の別荘を襲って婚約者を惨殺したらしい。そこに行き着くまでのアレやコレやを軍の司令部に咎められ、軍の規律を無視したその行動が上官を怒らせた。  特殊部隊に飛ばされてきた男は、名前を「柳原大尉」と言った。  やがて終戦を迎えて、広東軍は敗走。  特殊部隊で指揮を執っていた彼と部下は大陸に置き去りにされた。しかも追い詰められた彼らの状況は、酷く切迫していた。  広東軍でスパイ活動を指揮していた男は中国共産党に追われていた。切羽詰まった彼は日本軍人だった自らの過去を葬るために、敗戦のどさくさに紛れて身代わりにその部下を殺したのだ。男はその首に懸賞金まで掛けられていて、危険な状況だった。男は天涯孤独、軍司令部にソコを買われて諜報活動を任務として来た。孤独も裏切りも、毎度のことだ。  以来。「柳原大尉」を名乗って落ち延び、中国人のギャングに身をやつして香港に流れ着いた。それからは李賢人を名乗って生きている。  香港で産まれた息子も孫も、彼の過去は広東軍の柳原大尉だと思い込んで、疑いもしないのだ。  我ながら、良い作戦だったと思う。  「柳原大尉」の経歴は、乗っ取るに足る価値のあるものだった。  江戸末期までは京都で医者をしていた男の一族は、明治になって東京に出てきた。  以来、たくさんの職業軍人を輩出してきた名門の家柄。士官学校を首席で卒業した有能で将来有望な将校だった部下は、冷酷非道な危険物でもあったからいつも一匹狼で孤独を好んでいた。お陰で「柳原大尉」がどんな男か、ハッキリと証言できる日本人が殆どいなかったのだ。  その「柳原大尉」の先祖だった名無しの権兵衛が、遣唐使に紛れ込んで唐の国から日本へ逃げて来たと云う話は、当の本人から聞いた。  名無しの権兵衛は「不老長寿薬」なる薬を盗んで、中国から遠く海を隔てた日本に逃げ込んだらしい。詳しい経緯は長い時の流れの中で伝承の彼方に消えたが、薬だけは柳原家に代々受け継がれた。  医者を名乗った柳原家は、薬草を煎じた胃薬に耳かき程度のその「不老長寿薬」を混ぜて、僅かしかない薬を水増ししては悠久の時を生き抜いてきた。  「不老長寿薬」は、大層薄まるから十年ほど寿命を延ばすくらいしか効用は無い。だが不治の病にかかった権力者にとって、その十年の価値は大きかった。  例えば・・  平安時代には、藤原道長にその薬を売って摺り寄った。お陰でお公家様の顧客をたくさん獲得して、裕福な生活を送れたようだ。  室町時代には足利義満に擦り寄り、戦国時代には武田や毛利などの各地の戦国武将に、もっと薄めた薬を売りまくって荒稼ぎした。  究極はと言えば。  豊臣秀吉と徳川家康に同時に薬を求められた時だろう。柳原家は両雄を天秤にかけ、徳川家を選択した。豊臣秀吉にまがい物を渡すと言うペテンを演じ、結果として秀吉はまだ六十二歳なのに老衰で死んだ。  幼い秀頼を残して・・無念の死。  関ヶ原合戦の後、大坂冬の陣・夏の陣を経て天下を手中に納めた徳川家に摺り寄り、江戸時代を無事に生き抜いたようである。  一族の長い歴史の中で「不老長寿薬」は少しずつ確実に減っていき、「柳原大尉」の代には瓶の底に少し残るだけに為っていたようだ。それをどうやって日本から持ち出したのか知らないが、「柳原大尉」はいつも懐に入れてもち歩いていた。  殺した時、彼は「柳原大尉」の名前と共にその瓶も奪い取ったのだ。  逃走中、ここぞと言う場では、耳かき程度の薬を使ってなんとか生き延びた。必死で香港に辿り着いた彼は、その特殊な街の水が性分に合っていたのだろう。誰もが恐れる顔役にまで伸し上ったのである。  だがここに来て、大問題が沸き起こっていた。「不老長寿薬」の秘密を、毛沢東の側近に嗅ぎ付けられたのだ。  
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