第四話  龍の洞窟

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いつの時代も、権力を手中に収めた者が次に願うのは不老長寿。少しでも長く掴んだ権力の座に座り続けたいのが、ヒトの性と言うモノだろう。  毛沢東という巨木に縋って中国政府の中枢にいる男にとって、「不老長寿薬」は喉から手が出るほど欲しい毛沢東に捧げる黄金の果実だ。現代科学の粋を集めた研究施設で、その薬の成分を解析出来れば、コピーを創るのも夢ではない。コピーにかけては、世界的に評判の国なのだ。  手に入れようと躍起になっているらしい。  間もなく中国政府から譲れと迫られ、断れば確実に薬を取り上げられた挙句に問答無用で中国に拉致され、戦犯として処刑されるだろうと解っている。  逃げるのは不可能だ。  相手は巨大すぎる。  そこで窮余の一策が出る!  厄介な「不老長寿薬」を押しつける相手を、懸命に探した。中国政府の標的になる危険を押しつられるマヌケが、どうしても必要だった。  差し迫った危機を回避する為に。  どうしても・・  そこで唐時代に「不老長寿薬」の本来の持ち主だったらしい楊家を探して、世界中の華僑を探った。楊家を名乗る一族をロサンゼルスの街で探り当てた時には、狂喜したものだ。  「この楊家を徹底的に調べろ」と。  部下を使い、香港マフィアの総力を挙げて調べ上げた。そして目星をつけたのが、楊吟麗の存在だったのである。  まさに打ってつけだ。  ロサンゼルス華僑のはみだし一家、裏の社会に生きる鼻つまみモノの楊家とこうして誼を通じているのも、ひとえに楊吟麗に近づくためにして居る事だった。  ここからが李賢人の腕の見せ処。  正念場だ。  今までの評判が評判だけに。  ここで妙に好々爺になっては、かえって不気味で疑われると言うモノだろう。腹に一物あると見せかけて置いて、災いの元の「不老長寿薬」を楊吟麗に強引に奪わせる。  中国政府にも知られる様に、部下の何人かには酷い姿で死んでもらうとしよう。血なまぐさい事件に仕立てあげてから、お宝を奪われて悲嘆にくれる、年老いた香港マフィアのボスを演じるのだ。  彼の弱みを掴んだと誤解した香港マフィアの有象無象が襲ってくるだろうが、中国政府と比べたらそんな物はコップの中の嵐。  ついでだから香港の裏社会の粛清にも、チョットは役立って貰おうと決めている。  そこで、先祖が仕えた「楊鈴麗」の生まれ変わりへの臣従の証として、残り少ない「不老長寿薬」を吟麗の目の前でチラつかせた。  それは「不老長寿薬」を狙う中国共産党の幹部の触手を逃れるための、老獪なバケモノの仕組んだ罠だった。吟麗が薬を護らせておいた部下を皆殺しにして、「不老長寿薬」を奪った時には、思わず万歳三唱した。  これで中国共産党の標的は楊吟麗に移ったと思ったのに、それにも拘らずである。楊吟麗がこのペテンの勝者になったのは、まさにそれがご時世の賜物と言うモノだろう。  米ソの冷戦時代の真っただ中にあった当時。毛沢東率いる中国共産党は、ソビエトが勢力を拡大し続ける北の脅威と、アメリカ軍の東南アジアへの進出という脅威に囲まれていた。  薬を狙っていた側近の男も「不老長寿薬」を追う処では無くなったのである。老獪な李賢人の早手回しが裏目に出た結果、「不老長寿薬」は楊吟麗の懐に転がり込んだ訳だ。  奪った薬を持って祖父と一緒にアメリカに帰国した吟麗は、やがて祖父に勧められるままに上流階級の子女が集うスイスの寄宿学校に留学した。上流社会の雰囲気を身につけつつ、ヨーロッパの各地に顔見知りを創るのが目的だった。  やがて祖父の死を受けて、ロサンゼルスの裏社会に力を振るう楊家の当主の座に就いたのが二十七歳の時。  五十歳の声を聞くまでは、薬の事などスッカリ忘れていた。  だが五十一歳の時。当時はまだ不治の病と思われていた癌が、彼女の身体を蝕んだのである。 彼女はあらゆる最新医療を試したが、病状はドンドンと悪化の一路を辿って行った。  その時にふと、机の引き出しに入れっぱなしだった小瓶に目が行った。  「ダメもとで飲んでみるか」  それは絶望の淵に立つものの狂気に近い。  だが思わぬ結果だった。  癌が消滅したのだ。  しかし瓶の底に残ったのはたったの数滴。  そこで初めて、スイスの化学研究所に薬の分析を依頼したのである。  「これと同じものを創っておくれで無いかぃ。金はいくらでも出すよ」、パトロンになると申し出たのだ。そこは自由諸国の英知が詰まった場所だ。  以来、研究はずっと続けられているが・・同じものは未だに出来てはいない。 「延命長寿薬」に毛の生えたものまでは何とか辿り着いた。頻繁にその薬を注入した成果として、若々しい肉体をこの二十数年間、何とか保って来たのだが。  だがこの所、ジワジワと老いが迫ってきているのを感じる。  若い気力を保っている内に権力の頂点に立ちたいと云う焦りが、厳家を吸収して楊家をアメリカの大財閥にのし上げたいと言う妄想を生んだと言っても過言ではない。  恒星の子供を身籠っているセイラを亡き者にし、フランソワーズ・バリューを妻にする計画はソコから生まれた作戦だった。  時が無いと焦ってもいる。  「日本で一気に、恒星の妻を始末するよ。サッパリと片を付けるのを手伝っておくれで無いかぃ。あの女が何処に居るのか、調査をしっかり頼むよ」  飛行機に乗る前に、楊家の傘下に下って間のない日本の極道・倭豪会に連絡を入れておいたのである。  あの女の行き先を知っておかねば、勝負に為らない。  「先ずは、倭豪会の報告を聞いてからだねぇ」、独り言をつぶやくと美貌を保つため、サッサとアイマスクをして目を閉じた。  次の瞬間には、軽いイビキまで掻いていたのである。
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