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車を駐車場に入れて店に戻ると、
店内には人の姿は無かった。
キッチンの中に居たお父さんの姿も
無く、俺は水の入ったグラスが用意された
席へ座ろうと椅子に手をかけた。
その時だ。愛歩の声が聞こえてきたのは。
「──その女の人、キングフーズの社長夫人
だと言ってたわ。私と同じ年頃の息子さんが
いたから、まさかとは思うんだけど……」
聞くつもりは無かったが、急なことだった
のでどうしようもなかった。
俺が戻ってきたことに気づいていない
愛歩は、なおも話を続ける。
席を外そうとドアへ向いかけた。
が、続けて聞こえてきた話が、
俺の足を止めさせた。
「この社長夫人って、お母さんじゃない?」
「……どうして、そう思う?」
お父さんに訊ねる愛歩の声は、震えている
ように思えた。
姿は見えないが、気配から二人がなんとなく
緊張感が伝わってくる。
「どうしてって、保科さんのことをよく
知っているみたいだったのよ。それに、
顔立ちが兄さんに似ている気がして……」
「それだけでおまえはそんなことを考えたり
しないだろう? 他にそう思った理由が
あるんじゃないのか?」
これは他人が聞いてはいけない話だ。
これ以上聞いてはいけないと思い、俺は
急いで足を踏み出した。
けれども今の話を聞いて、俺はいくらか
動揺していたのかもしれない。
まるでコントのお約束のようにテーブルの
脚に躓いて、弾みで店内に大きな音が響いた。
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